憎しみを超えて NIYONIYO

ヒュー・ブラウン氏へ  インタビュー・シンフォニー

テロリストの転機
  豊田百合枝   
 18歳でテロリストとして投獄、そして牧師に−。北アイルランドに生まれ育ち、日常生活の中でテロリズムを目の当たりにしてきたヒュー・ブラウン氏。同氏にとって、組織(アルスター義勇軍=UVF)に入るということは、どういう意味を持ったのか。組織の中で何を考えたのか。組織を抜けるということは何を意味していたのか。なぜ辞めることができたのか…。自分とは全く異なる土壌に生きた同氏に対し、湧き出る疑問をぶつけることで、その数奇な人生の転機に迫りたいと思い、インタビューに臨んだ。

−組織に入ったのは何歳の時か。なぜ入ったのか。

「15歳の時にUVFに誘われた。生まれ育ったベルファストは12歳の頃から紛争の中心地だった。周りの大人達は『アイルランド人は信用できない』『人間以下だ』などと、かなりひどい差別的な言葉を使って、不信感や憎しみを露わにしていた。それを子供の頃からずっと聞いていた。
 実際、IRAのテロ事件が毎日のようにあり、爆破で多くの無実の人が子供も女性も無差別に殺されるのを見て、『大人達の話は間違っていない。そんなひどいことができるのは、人間ではない』と思った。
 そんな中で少年は『認められたい』という気持ちを強く持っていた。ベルファストの北部は大部分がイギリス系住民で、IRAから自分たちの身を守る住民組織があった。住民を守るために命を懸ける人。少年から見てそういう強い男に憧れがあった。そのうち『守るだけではダメ』『IRAをやっつけてしまわないとダメ』となった。警察や軍隊は法律の枠の中でしか動けない。テロリストはそういう警察や軍隊を次々と殺してしまったのだ。

 だから、15歳でUVFに誘われた時は『これ以上光栄なことはない。自分は住民のために命を懸けて戦う英雄になった』と思った。組織への憧れがあった。かっこいいというか、選ばれたエリートという感じ。全く迷いもなく組織に入った。
 残念ながら、入ってすぐに表と裏が分かったのだが。」

−組織で活動して、何を感じたか。

「3年間活動し、逮捕されるまでに私は一つの部隊のリーダーになった。リーダーになって初めて組織の上の人間がどんな人間か、分かるようにもなった。
 1972年に組織に入った時は、組織は住民のために働いていた。しかし、UVFは一番残酷なひどいテロ組織になってしまった。表はかっこいいが、裏では堕落してしまい、無差別にアイルランド系住民を殺す人が出てきて、私は嫌になった。

 私は無差別に人を殺したことはない。相手がテロリストなら仕方ない。テロリストを殺せば沢山の人が助かる。そういう考え方だった。でも、それ以外の人を平気で殺すことはできなかった。」

−組織を辞めようとしたのはいつか。

「決心したのは20歳の時だが、辞めたいという気持ちはそれ以前からあった。18歳の時に銀行強盗で逮捕され、同じ組織の人間が入っていた刑務所に私も入れられた。刑期も残すところ半年、という時に誰にも想像できなかったことが起きた。神の啓示をみる体験。刑務所の仲間達と一緒に映画の『ベンハー』を観て、キリストの十字架のシーンでひとつの啓示をみた。そして、クリスチャンになることを決心した。それは霊的な体験だった。その時自分の中で何が起きているのか分からなかったが、神が自分の罪を見せてくれて、悔い改めさせてくれた。それがなかったら、辞めることもできなかったと思う。
 私は生まれ変わり、刑務所を出る時には別人のようになった。双子の弟も『これが同じ人間か』とびっくりしたぐらいだ。」

−なぜ宣教師に。

「宣教師になったのも、神に召されている、これが使命だと思ったからだ。刑務所を出て毎日のように祈り続け、数カ月経ったある夜のことだ。ぐっすり寝付いたのに、深夜3時に突然目覚めた。『これは何かが違う、祈らなければ』と思い、ベッドを出た。その瞬間、神が部屋の中に入ってこられたような、神の存在に圧倒されたような経験をした。そして聖書を開くと、『平和の福音を伝える者の足はなんと立派でしょう』という言葉が出てきた。その時、キリストの福音を伝える(宣教師としての)召しを与えられたと確信した。そして、日本に来ることになった。」

−辞めると言った時の組織の反応は。簡単に辞められないのでは。

「神の啓示で辞めるしかない、と思った。私はたとえ殺されたとしても、テロ組織を辞めようという気持ちがあった。現に友達が1人殺されていた。テロ組織を辞めることは組織にとって絶対に許されないこと。組織に対し不満があること自体、見せれば裏切り者。密告者がいると思われれば殺される。100%の忠誠が求められ、そうでないと危ない。
 友人は、かつて組織を辞めたいと言ったことがあった。私は4人で銀行強盗に入り捕まったが、強盗に入る前にその友人の家に集合してから強盗に出かけた。強盗当日は何もなかったが、2週間後に突然、4人全員逮捕された。彼は強盗には関わっていなかったので捕まらなかった。私達が刑務所に入って何カ月か後に、彼は同じ組織の人間に暗殺された。密告者と思われたのだ。

 私が辞められた理由は2つあると思う。1つは内面的なもの。これは理解されないかもしれないが、神に従うために辞めるなら、後のことは神の責任だ、と考えた。殺される可能性が高いことは分かっていた。しかし、組織に不満があって辞めるのだったら辞められなかったが、神のために辞めるなら神が守って下さると信じることができた。

 もう1つは、たぶん私が組織に信用されていたということではないか。私がテロ組織について持っている情報を漏らす危険があれば、今でも殺される可能性はある。漏らさないという信用があったのだと思う。

 私が『辞める』と言った時、刑務所の中のボスは最初、めちゃくちゃ怒った。『裏切られた気持ちだ』と言い、何度も何度も脅してきた。そのボスとは以前の仕事で深い信頼関係があったので、余計に『裏切られた』という気持ちだったのだと思う。でも、刑務所での最後の夜、ボスは組織のメンバーみんなの前で、檻の中には90人ぐらいいたが、全員を集めて『これから頑張って』と言ってくれた。出所した後に、組織から戻れと言われたことは1回もなかった。

 これは後で分かったことだが、ちょうど同じ時期に、私の全く知らないところで、6人がクリスチャンになる決心をして組織を辞めていた。その中の1人は、かなり偉い人間だった。2、3カ月の間に偶然6人も私と同じ体験をしていた。1人なら『組織にとってどうでもいい』と殺してしまったかもしれないが、仲間、特にその偉い人は殺したくなかったのではないか。そういう巡り合わせもある。」

−組織を辞めて、組織や北アイルランドに対する見方は変わったか。

「組織を離れる前からすでに見方は変わっていて、単なる暴力団、テロ組織だと思っていたが、辞めてからその気持ちがはっきりしてきた。組織の罪深さ、ひどさ。そして、組織に入っている人の考え方の狭さ。狭い国、島の中に閉じこめられているのと一緒で、狭い。いくら時間が経っても37年前に言っていたことと同じ事を言っている。相手の立場や権利を全く考えられない。自分たちの主張しか考えられない。組織に入ると、周囲はIRAのことをかなりひどい言葉を使って話しているから、当然毎日聞けば自分の中に宿ってしまう。しかしそれは、イギリス系住民の大部分がそうだ。それが土壌になってしまっている。
 今でも国に帰り、テレビやラジオのニュースを見ると、トーク番組の政治家達も全く変わっていなくて嫌になる。ニュースを見たくないぐらい嫌だ。もう飽きてしまった。同じ事の繰り返し。一方で、30数年間にわたり犠牲者が出て、多くの人はそれに疲れたという気持ちもある。何とかしないといけないという気持ちから和平が生まれたが、まだまだ不信感は深い。
 この30数年の間に、傷つけられた経験がない人はほとんどいない。そういう不信感や憎しみからは、なかなか解放されない。
 紛争が終わらないのは、過去にあったことが許せないからだ。仕返し、復讐。その連続。アイルランドもユーゴもそう。何百年も前に起きたことが今でも許せない。
 でも、許せないというのは思い込みだ。許すしかない。私も弟の拷問を目の前で見せられた。弟が銃で撃たれ叫ぶのを見せられ、絶対に許せなかった。でも、忘れることはできないが許す。許さなければ、自分自身が憎しみから解放されないからだ。許し合うことが今回の講演会のテーマでもある『憎しみを超える』唯一の方法だ。」


 ブラウン氏の話は、時間を忘れるほど惹きつけられるものだった。一番聞きたかった、組織を辞めようと決意する転機は、当初想像していたものとは、全く異なるものだった。神の啓示。神の存在を感じること。そうした経験のない自分にとっては、その感覚はやはり分からない。
 しかし、何か自分の考え方の枠の中で理解できるような理由がなければ満足いかない、というのもまたエゴだとも思う。それぞれの人間のそれぞれの人生がある中で、その価値観なり生き方の違いを受け止めることも必要ではないか。
 それでも尚、考えてしまう。では、神の存在がなければ、人は変わることができないのか−。
 ブラウン氏のテロリスト時代の写真を見た。今、自分の目の前で穏やかに語る同氏からは想像も付かないテロリストの顔だった。目の奥に深い暗闇を感じさせるような怖さ。そこには絶望感すら漂う。その絶望からすくい上げてくれたのが、神だという。
 神の存在なしに、人は変わることができるか。
 答えは出ないが、弱い存在としての人間がいて、それ故に宗教がある。自分自身を乗り越えるための心の拠り所としての神の存在をブラウン氏から感じた。


【豊田百合枝】

 バーボンと薩摩焼酎を愛する28歳。ゴーヤのお浸しに泡盛も譲り難い。仙台暮らしも3年(記者生活5年)になり、秋冬は欠かさず通った秩父宮ラグビー場からもしばし足が遠のいている。大学時代にロンドンで生活、IRAまたはIRAを装う爆破予告で、度々地下鉄の駅が閉鎖されるのを体験。その後、自分の通う大学近くでバスが爆破され、テロを初めて身近に感じる。


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インタビュー・シンフォニー(憎しみを超えて インタビューの一覧です)

★尊び、分かち合うこと      (高橋理麻)

★他人を許すことは自分のため (相原厚子)

★光を求めて            (佐藤きよみ)

★思                 (飛田裕子)

★Will                (会田正宣)


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