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−ブラウンさんは小さいころから、キリスト教の話しを聞いて育ちました。日本では学校でも家庭でも、宗教が教えられることがないですが、日本に来て、宗教観についてどんな印象を持っていますか?
「私が本を書いたのは、日本の若者に命の尊さを理解してほしいと思ったからです。実際に若者が「なぜ、人を殺してはいけないのですか」と質問していると聞いて、学校の先生もなかなか答えられない。そんな日本の現状を聞いて、本を書きました。
私は小さいときからキリスト教の話を聞いていたのに、テロリストになりました。矛盾しています。しかし、テロ組織に入っても、平気で人を殺すことはできなかった。無差別に、遊ぶ気持ちで殺すことはできなかった。今の若者は命の尊さが分かっていない。「殺してみたかった」と、遊ぶ気持ちで殺したりしている。宗教教育は何もないと思う。宗教のことだけではないが、宗教の大きな役目だと思います。
もちろん、家族の絆は大きいです。私は人を殺すことを考えると、つい相手の家族を想像してしまう。テロリストとしてはいけないことですが、考えてしまいました。家族の絆の中で、『相手はだれかにとって大切な人だ』と、命の大切さはある程度分かっていました。宗教に入って、もっと上のレベルで人の命の尊さが分かるようになりました。
日本人には、宗教観はほとんどないのではないかと思います。宗教観、宗教教育もない。命の尊さが分からないことの、一つの証明だと思っています。日本人は宗教という点で見ると、一番だましやすい。とんでもない新興宗教をはじめ、新興宗教がこれほど多い国はないと思う。私も教祖になろうと思ったら、すぐ簡単になれます。」
−宗教に対して無知だからですか?
「そうですね。何が宗教か分かっていない。だから、だまされる危険は高いと思います。何か超能力や、不思議な超自然現象が起きると、『神様だ』と、ついていってしまったり。危険なことだと思います。」
【you-ko】
1973年、茨城県生まれ→仙台市在住。社会人5年目。好きなことは「おえかき」をすること。SNOWBOARDは7年め。アジアンな格好もだいすき。将来、Indonesiaで暮らせるといい(でも雪山がないな)。
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「元テロリスト」というと、自分とは違う人種のような気がしていた。そんなはずは無い気もしていた。「アイルランドのテロ」には、新聞でも本でも「宗教の対立」といった言葉での説明が必ず加わっている。私は宗教を知らずに生きてきた。宗教の話になってくると、「私には分からないな」と端から思ってしまいがちだ。ブラウン氏の話を伺う前、もしも宗教的な話になった場合、理解できるか心配だった。
だが、なぜテロリストになったのか、ブラウン氏の生まれ育った場所で、当時の大人や子どもたちが何を思っていたのかを聞くうちに、心配は拭い去られた。「対立に宗教は関係なかった」というのだ。シンプルな理由だった。
IRAが彼らの身の回りのひとを殺す。それに対し、家族や友人・仲間を含めた「身を守る手段」として、UVFが彼らの目の前にあったのだ。もっとも、組織に入って、乱暴なテロ組織の側面に、ブラウン氏も違和感を感じたそうだが。
民族紛争、戦争などのニュースを聞くたび、
2つの考えが頭をぐるぐる回る。「同じ人間なのだから、考えが違っても必ず分かり合えるはず」「全く異なる環境に育った人がいる。どうしても争いを避けられない事があるのかも知れない」。私にとって世界は広すぎて、いつもよく判らない。初めて目の前にしたテロ経験者がテロに加担していった理由…「愛する身の回りの人を守りたい」という、人として誰もが理解できる理由であった事は、軽い驚きと安心感をもたらしてくれた。
宗教の影響を受けて、美しい絵画や建築などがたくさん生み出されたと思う。そうした作品に出会うと、「宗教とは素晴らしいものだ」と思う。勿論、宗教によって救われている人も多くいるだろう。宗教を持たない私だが、祈る人々の横顔を見るとき、「なんと美しい姿か」と感じてしまう。その宗教によって、対立や戦争が引き起こされるかと思うと、「なんと悲しい事か」と。
しかし、理解できないと思っていた争いは、市民レベルでは実に解り易いところから始まっていて、その悪循環によって続いているということが、今回話を伺ってクリアーになった。世界中に当てはめて単純に考える事は出来ないかも知れないが、「遠くの、違う世界の人達の出来事」ではない事を証明された気がする。
外国人の友人に「学校で宗教の授業はない」と言ったら、「日本人は宗教をどこで学ぶのか」と聞かれた。環境の違いに互いに驚いた。あるムスリムの友人は、
1日5回の祈りを仕事や遊びの合間に一人必ず行っていて、私には新鮮だった。
ブラウン氏がテロ組織を抜けて牧師になったのは、神の啓示を受けたからだという。それまで「神を信じていなかった」と言うが、幼少の頃から宗教的な話を聞いて育ってきた「基本」はあった。宗教は私にとって「得体の知れないもの」だった。宗教とは何だろう。しかし、人が幸せに生きる為の意識付けのような側面が、最近見えてきている。彼にとって、宗教のない(信じるもののない?)日本人は騙しやすく見えるという。そのことが心に引っかかっている。必ずしも宗教を持つべきだとは思わない。とはいえ、何か「基本」を持っているだろうか。人生に起こる辛い事や悲しい事に出会ったとき、道を誤らずに進める道しるべのようなもの、あるいは、道を誤っても気付いて軌道修正できる何かを、持っているか。それは教養によって身につくのか。宗教が教えてくれるかもしれないし、親の愛や教育、経験、何によって身についていくものだろうか。
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