|
−ブラウンさんは愛する家族が殺されても許せますか?
「許せますよ。許すしかないです。許せないというのは、思い込みです。感情的なことです。
私もかなりひどいことを経験して、同じ道を通ってきて、ずっと許せないと思っていた。多くの人は、許すのは忘れることだと言う。私にも言ってきました。『Forgive & Forget』と。しかし、それは不可能なことです。記憶喪失にでもならない限り、忘れられない。しかし、それは許せないということとは違います。だれでも許せます。相手のためにではなく、自分のために許す。簡単なことではないが、許すことの大切さが分かったら、許すことができます。」
【相原 厚子】
宮城県出身。東北学院大学4年生で、人間情報学を勉強しています。現在「気と人体の関係」についての卒業論文を作成しています。

程彦平
|
私は「ブラウン氏は愛する家族を殺されても許せますか?」という質問をしました。何故その質問をしたのか。それは、ブラウン氏が他人に対して許すことの大切さを訴えているのに、ブラウン氏自身が実践できなければ説得力が無いと思ったからです。インタビューの前にブラウン氏の著書や北アイルランド紛争についての本を読みましたが、この質問は是非答えてもらいたいと思っていました。
彼の答えは「イエス」でした。「許すしかないのです」と。ブラウン氏はその理由をこう話していました。「相手の為ではなく自分の為に許すのです。憎しみや怒りで拘束された自分の心を解放させるのです」。
とても共感できました。というのも、私もこのような経験をしたことがあるからです。私の場合、“大切な人が殺された憎しみ”では無かったのですが、私のその人に対する憎悪はとても強く深いものでした。10年ほどかかって、その人を初めて許そうと思った瞬間、肩の荷が下りたような解放感がありました。以来、気持ちが楽になり、憎しみを抱いていた時よりも考え方が自由になった気がしました。「許せないというのは思い込みで、許せるのです。辛い記憶は消えないし忘れられないけど、人を許すことはできるのです」。ブラウン氏のこの言葉がとても印象に残りました。
私が憎んでいた人を許そうと思ったきっかけは、ある人との出会いでした。その方は私の話を親身に聴いてくれました。私は長く自殺願望も抱いていましたが、その方は偶然とは思えないときに、私に手を差し伸べ、精神的に支えてくれました。「生きたい」と心から思った意識改革でした。
私に出会いをいただいた運命を司る大きな力。神の存在を漠然とではなく身近に感じました。私は無神教ですが、そのとき宗教の原点を見たような気がしました。人は生きることが苦しみそのものだと考えるとき、その中で生きる希望としたのが、“神”や“宗教”と呼ばれるものなのではないだろうか。また、発祥地によって文化や言語などが異なることから、宗教が分かれて、多くの宗派が今に存在するに至ったのではないだろうか。希望としての宗教なら大いに信仰すればよいと思いますが、破壊や差別のための宗教はもはや宗教と呼べないと思います。
テロや戦争などで他人を傷つけたり、殺したり、犯したりする人々に私は賛成しませんが、そうした人々がいることは認めなければならないと思います。その人たちがそのようんま行為をするには理由があるはずです。その声にこそ耳を傾け、理解しようとすることはとても大事だと思います。万人がお互いに理解しあい、尊重しあえるのは理想的だと思います。しかし、人間は欲望や感情を持っているので理想通りの世界を築くことはなかなかできないかもしれません。悲しいけど、この先も戦争や傷つけあいが絶えることはないでしょう。しかし、私たちは個人で理想に近づこうとすることはできます。私も身近なところから人を許すということを心がけていきたいと思います。
はるばる遠くからいらしてくださったヒュー・ブラウン氏に心から感謝します。ありがとうございました。
|