| NIYONIYO | |
| 胡弓 寒月の調べ | |
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尹世高(イン・シーガオ)さん |
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(聞き手 会田正宣・相原厚子・佐藤きよみ・高橋理麻・程彦平) Sound-Living (高橋宏之・平沢朝・梅田穣・本田和也・大和景子・後藤章一・小林誠) |
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会田−胡弓との出会いから教えて下さい 尹−「七歳のころから胡弓を弾き始めました。ちょうどそのころ、胡弓の第一人者の阿炳(アービン)を聞いたことがあります。阿炳は目が不自由で、胡弓の最も代表的な名曲「二泉映月」を作曲した胡弓奏者です。阿炳を聞き、すっかり胡弓が好きになりました。父はプロではないですが、胡弓が上手で、父の影響は強かったです。今も、演奏しながら父の技術を思い出します。才能ある人はみな自分の先生として、優れた所を吸収してきました。最初の舞台は11歳のとき。私の故郷は中国と北朝鮮の国境に近かったので、朝鮮戦争が終わるころ、兵隊の慰問で出演しました」 会田−尹さんの子どもの頃は、中国では文化大革命が吹き荒れていた時期です。尹さんはどのようなご体験をされましたか? 尹−「同世代の人々と同じ体験をしました。都市部の生徒を農村に送る下放政策によって、中学2年生のとき、丹東市が管轄する農村に八ヶ月、下放して、田植えから稲刈りまで、農作業に従事させられました。 |
| 1950年、中国遼寧省丹東市出身。37歳のとき、中国全国胡弓コンテストで演奏、作曲ともに優勝し、一流の演奏家として活躍。妻の母が中国残留婦人だった縁で、1997年、義母の故郷に近い仙台市に来日。 |
| 私は中国トップクラスの「海政歌舞団」の試験を受け、入団する予定でした。私の父や、父の兄弟は戦争当時、旧満州国で働いていました。それで、「日本に協力した」ということで、「出自」が問題になり、入団できませんでした。とてもショックで、ノイローゼになりそうな気持ちでした。子どものころから胡弓を一生懸命練習し、「入りたい」とあこがれていた歌舞団でしたから。もっとも、入団していたら、今回、みなさんと会って、演奏することもなかったでしょうね(笑)」 | 【文化大革命】
プロレタリア文化大革命の略。毛沢東が1966年に提唱。資本家、知識人などから、革命の主体として、労働者や農民などに権力を取り戻す階級闘争を理論としていたが、実際は毛夫人の江青など四人組、林彪らを軸とする権力闘争に陥った。紅衛兵はじめ人民の間で、凄惨な武闘が中国全土で巻き起こされ、人的、物的に多大な被害が生じた。'76年の毛沢東死去後に終了。'80年、中国は「文革は誤りだった」と文革を否定した。 |
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会田−芸術家にとって、若いころの時間が抜けるのは、悔しさが多いと思いますが。 尹−「そうですね。文革が終盤に入った1974年に、丹東市芸術団に入ることができました。高いレベルの団で、たくさん作曲し、市内で多くの演奏会に招かれ、演奏家として充実していました。37歳のとき、まず遼寧省のコンテストで優勝し、全国コンテストに出場して優勝しました。とても嬉しかったです。小さい頃から苦労して、ようやく努力が世間に認められたのですから。テレビやラジオ、雑誌もたくさんインタビューに来て、有名になって、非常に仕事が忙しくなりました。 もともと大学に入るつもりでしたが、文革の影響でずっと遅れました。遼寧省の瀋陽音楽院に入学したのは、胡弓コンテストに優勝した年のことで、1987、88年の二年間、在学しました。自分に胡弓がなかったら、農村から戻れず、今も農業を続けていなければならなかったかも知れません」 |
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会田−日本に来たきっかけは?中国でトップレベルの胡弓奏者として地位を築いたのですから、来日には不安があったのではないかと思いますが。 尹−「妻の母は中国残留婦人です。妻は自動車を設計するエンジニアで、友達の紹介で知り合いました。文革後の出会いでした。妻は半分日本人の血を引いていますから、やはり「日本に関係した」ということで、お互いに同じような苦労をした経験があり、境遇が似ていてとても親しくなり、結婚しました。 |
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| お義母さんは年をとるにつれ、「死ぬ前に一度、日本に帰りたい」「日本で死にたい」という気持ちが強くなりました。娘が高校を卒業して、お義母さんも体調があまり良くなくなったので、お義母さんのため、日本に行くことにしました。私は家庭を大事にしたい。お義母さんの思いは理解できます。不安はありましたが、覚悟しました。自分はいったん決めたことは、苦労があっても貫きたいのです。
47歳で来日したので、日本語も難しいし、初めはしぶしぶ。義母が亡くなったら帰国するつもりでした。でも、そのうち演奏会に招かれるようになり、市民センターの要請で胡弓のクラスを開くようになったりして、友達もたくさんできました。仙台は住みやすいです。仙台は『仙人が住むところ』の意味です。気候や、町の規模が私の故郷と似ていて、あまり違和感はありません」 会田−日本が中国に起こした戦争については、どうお感じですか? 尹−「国家でなく、人間の立場から考えて、残酷なことです。戦争は中国国民を傷つけただけでなく、日本人も傷つけました。戦争はダメです。今、アメリカ、アフガニスタンは大変ですが」 会田−胡弓の楽器の特徴を。 尹−「二本の弦があるので、中国では『二胡』と呼ばれ、馬のしっぽでできた弓で弾きます。人の心の奥深いところで弾きつける楽器です。胡弓はどんな音でも表現できます。鳥の鳴き声、自然の音、人の感情…。世界で最も表現力豊かな楽器だと、私は思っています」 |
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高橋−演奏会では、『競馬』で馬のいななきを表現していました。自然の音というのは日常生活の中から取り入れているのですか? 尹−「そうです。鳥の鳴き声など、イメージを思い浮かべながら演奏します。うぐいすの「おはよう」とか。常に自分の生活の中で、自然と音楽の結びつきを考えていますね。 それから、胡弓の演奏に関してですが、胡弓と呼吸ということを考えてきます。面白いですね(笑)。演奏を始めるときに、深呼吸します。一呼吸してから弾き始める。私が大学に行っていたとき、「胡弓と呼吸」について研究しました」 |
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相原−気功と関係あるのでしょうか? 尹−「気功にもつながります。息を整えること。私は観客に対して、良い気持ちで演奏したいから、深呼吸して息を整える。観客への礼儀のような思いもあります」 程−中国人と日本人で胡弓を理解するのに差がありますか? 尹−「私は、もしかしたら、日本人の方が胡弓をよく理解できるかも知れないと思っています。中国では胡弓は、子どものころから聞き慣れています。たくさんの演奏家がいるので、いろいろな演奏を聞いているうちに、自分の中に『この演奏は違う』といった解釈が生まれてしまうかも知れない。日本人はあまり胡弓を聞いていないから、初めて胡弓を聞くとき、ぱっと音が入ってくるのではと思います」 佐藤−今後、日本でなさりたいこと、抱負を教えて下さい。 尹−「今、一カ月で4,5回演奏会を行っており、多いときは一日4回、コンサートをしたこともあります。とても忙しいですが、やはり作曲をしたい。特に、三味線や和太鼓、横笛といった日本の伝統楽器と、胡弓を組み合わせた曲を作りたい。胡弓も中国の伝統楽器です。同じアジアで、先祖はつながっていると思うので、タイトルは「縁の韻」。メロディーも浮かんでいます」 会田−最後に、尹さんにとって胡弓はどんな存在ですか? 尹−「自分の命のような存在です」 |
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