NIYONIYO 

歌はさずかりもの

加川よしくに(義邦)さん

(聞き手 高橋理麻・相原厚子・佐藤きよみ・会田正宣・真鍋歓子)

加川よしくにさんの写真です

高橋−音楽を目指したきっかけ、音楽との出会いを教えて下さい。

加川 「僕は生まれて間もなく、筋ジストロフィー症と診断されました。歩いた覚えもなく、ずっと家にいて、親のレコードを聞いて育ちました。音楽に接している時間が長くて、自然に音楽が好きになりました。歌を覚えるのも早かったですよ。9歳のときに西多賀療養所に入院して、養護学級のベッドスクールで義務教育を受けましたが、音楽が欠かせなくて、レコードプレーヤーを持っていきました。レコードを持っていたのは私だけで、みんな友達が「聞かせて」と集まってきました。

 中学卒業の直前、進路を決めようという時に、一番好きな音楽をやるのがベストだと思いました。子どもが「スチュワーデスになりたい」など色々夢を持つのと同じで、歌手になりたかったんです。中3のとき、松山千春のデビューアルバムを聴いて、「自分が目指している歌はこれだ。シンガーソングライターになりたい」と思いました。メッセージ性も感じ、自分の中にあるものと一致して、迷いがふっきれましたね。

先天性の難病・筋ジストロフィー症のため、9歳で仙台市の国立西多賀療養所に入院。中学3年のとき、歌の道に進むことを決め、作詞作曲を開始。仙台市を中心に自主コンサートや講演活動。1999年11月、ファーストアルバム「都会にて」を自主制作。

 

 高等部の通信教育で音楽を勉強して、楽譜の読み方などは、そのとき初めて学びました。歌にはキーがあるということを知ったのも、そのときです(笑)。好きなミュージシャンは、長渕剛や吉田拓郎、中島みゆき、さだまさしなど、独自の世界を持っている人にあこがれました。初ライブは1989年で、病院に来ていた東北福祉大のボランティアサークルの学生さんに頼んだら、学祭のコンサートとして設定してくれました。一ヶ月前からステージのシナリオの台本つくって練習したりしましたね。緊張して、最初の

3曲ぐらいは分けも分からなかったです。上手くいったかどうかはともかく、観客も感動してくれて、「お互い通じ合えた」という満足感が何とも言えなかったです」

相原− 音楽で成功できるといった確実な保証はないのに、悩みはなかったですか?親の反対や、あるいは周りの言うことが気になったりしませんでしたか?

加川 「こうと決めたら引かない、わがままな(笑)性格なので、親はあきらめていましたね。私には三つ上の姉がいたのですが、私が四歳のときに同じ病気で亡くなりました。今でこそ人工呼吸機もありますが、当時は延命治療法も確立していなかった。幼かったので、姉の死がどういう意味を持つのか分かりませんでしたが、あるとき風邪を引いて、突然姉のことを思い出した。「人は死ぬんだな」と、強い恐怖心に襲われた思いでがあります。親も「どれだけ生きられるか分からない」と思っているから、本気で好きなことであれば、何でもやりなさいという考えでしたね。

 また当時は今以上に学歴重視の社会でした。高校に進んで、良い大学に入って天。でも僕は「学歴で人を評価できるのか?」と反発が強かったので、あえて、進学の道を選びたくなかった。逆に「人を学歴だけで判断できない」ということを自分なりに証明したかったこともあります。とにかく音楽がしたい。やらなければ始まらないと思いました。やっていく中で、自然にここまで来る事ができた。いつも「出たとこ勝負」だったと思います」

仙台市の定禅寺ストリートジャズフェスティバルで歌う加川さんの写真です

高橋− 加川さんが音楽で伝えたいこと、表現したいことは何ですか?

加川 「人が生きるというのはどういうことか。人の痛みを知らずに、自分が置かれている環境に不満があるばかり、自分がみじめというばかりで、自分しか見ることができない。そうした傾向が最近強くなっているような気がします。周りを見れば、もっと痛みを感じている人はいる。視野を広く持ってほしいと思います。

仙台市・定禅寺ストリートジャズフェスティバルで(写真・相原厚子)
 最近、福祉やボランティアも広がっていますが、障害者は別に特別のものではない。健常者と同じように、人として生きたい。僕自身、例えば、どこか旅行に行って、そこで音楽のインスピレーションを得るなどといったことは、物理的に限られますが、逆に障害があるから見えることもあります。コンサートでは、障害者であることを自分から口にはしません。見た目で分かりますから。歌は子どものようなもので、生むのは自分だけど、受け取る人それぞれの所で歌が育っていきます。それはみなさんにゆだねながら、自分の存在を通して、何か考えるきっかけを持ってもらいたいと思っています」

会田− 音楽は楽器が弾けるとか、才能の世界であったりするので、障害のハンディとは関係ない次元になるように思います。その点、開かれた世界なのかと。

加川 肉体的に関係なく、表現しやすいというのはその通りですね。要するに実力の世界で、歌が良いか悪いかですから。いろいろ表現手段はありますが、その中で、僕には持ってこいの表現手段として選びました。

太白ありのまま舎の自室で作曲する加川さんの写真です

太白ありのまま舎の自室で作曲

佐藤− 創作をするものにとって、スランプの壁は必然的ですが、スランプのときはどうしていますか?

加川 「僕は作曲を始めた当初、月に一曲と決めて作曲していましたが、スランプは当然あります。自分の思うようなものができなくなったときは、無理に作りません。つくれないときは、どうあがいてもつくれないと割り切っています。つくれるようになれば、自然とできるので。もちろん、作曲するときは「やるぞー」って集中しますよ。悶々と、ドアもカーテンも締めきって、缶詰で汗水たらしながらつくっています。自分の中にあるものだから、形にしたいと思う。自分と掘り下げて対話しながら。気づくと頭の中で音楽が鳴っている、つくるというよりは出るというのが近いですね。歌は人柄が出ると言われます。素直な自分を出しますからね」

佐藤−つくるときに、考えがあって、そこから入っていくということではないのですね。歌がぴったり自分のそばにあって、生に直接結びついているように感じます。作曲を続けてきて、自分の中で変化はありますか?

加川 「初めのころは、「泣いていないで前を見よう、頑張れ」というメッセージの歌でしたが、最近は「泣きたいときは泣こう。泣いたら、もう一度歩き始めよう」という歌が多いですね。若いころは、勢いだけで何でもできるという気持ちが、いろいろな経験をして大人になって、分かってきた部分もあります。時には立ち止まることも必要で、それがあるから人間なんだと思いますし」

高橋− 加川さんにとって音楽はどんな存在ですか?

加川 「落ち込んで自分がどうしようもなくなったときでも、音楽だけは聴いています。歌詞や旋律に勇気づけられたりと、音楽に救いを求めているように思います。歌がなくなったら自分が自分ではなくなるように思います。自分の気持ちを分かってくれる、友達以上の存在、一生連れそうパートナーです」


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