| NIYONIYO らいに生きて |
|
インタビューを終えて (会田正宣) |
|
1996年2月、厚生省(当時)前で行われた、薬害エイズ裁判の原告による抗議行動。3日間の座り込みの最終日、菅直人厚生大臣が薬害エイズに対する国の責任を認め、謝罪をしたのだが、その初日、抗議行動を見に行った。そこに、平沢保治さんがいた。 らいについて、少しだけ勉強を始めていた。平沢さんの胸に、「らい予防法の過ちを繰り返すな」とあった。平沢さんの名刺をいただき、その後のゴールデンウイークに、平沢さんを東京都東村山市の多摩全生園に訪ねた。 平沢さんのお話を伺ったが、そのときは、本に書いてあるらい予防法の問題点を、「直接自分の耳で確認した」という程度だったように、今思い返す。その後、らいのことは、ずっと、引っかかる問題として残り続けた。 5年ぶりに、あらためて平沢さんを訪ねることができた。 平沢さんの視線は、らいだけの世界に終始しない。らいの元患者として生きて体験したこと、そこから人間として生きる上で大切なことを、身をもって伝えようとしている。ナチスのアウシュビッツ収容所から奇跡的に生還し、「夜と霧」の主著がある精神科医フランクルには、戦後間もなく、「それでも人生にイエスと言う」との講演録がある。平沢さんの自伝的な著書が、「人生に絶望はない」といいうタイトルであることを聞いたとき、フランクルを思い浮かべた。 「自分が与えられた環境を、最大限に生きること」と平沢さんは語った。自分には想像もできない。その言葉の重みを感じることさえ…。痛みのないワークを続けている。丁寧に取材に応じていただいた平沢さんに、この場をお借りして感謝させていただきたい。 |