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「大丈夫」

吉柴美奈子さん 聞き手(佐藤きよみ 会田正宣・程彦平・豊田百合枝・中島園子・真鍋歓子) 
吉柴美奈子さんの写真です

佐藤− 不登校の経験は辛かったり、触れたくなかったり、忘れたかったりする部分があると思うのに、吉柴さんは「親の会」で、自分の経験を語り、積極的に自分を出しています。
「中学三年のとき、不登校になりました。部活で三年のときに、部長にさせられたんだけど、その時期って内申書があるから、周りは「内申書目当てだろう」みたいに風当たりが強くなって、いじめに遭って。小6のとき、友達が不登校になって、付き添って児童相談所に行ったんですけど、マジックミラーがあって。「うわー、マジックミラーだ」と思いました。不登校になるとマジックミラーって印象なんですよ。私のころ、不登校はまだ、今と違って社会的に認知されていませんでした。
 半年、保健室にしか行けませんでした。その間の夏休みに、仙台七夕を観光に行きました。渡辺謙が伊達政宗役の大河ドラマで、仙台に行きたいと思っていて、すごく感激しました。今思えば転地療養でしたね。

【よしば・みなこさん】
栃木県出身。  東北福祉大学3年生、ゼミで「父性論」を学ぶ。  中学生の時不登校を経験し、現在は仙台市の「不登校を持つ親の会(フリースペース「つなぎっこ」)に参加。自分の体験を語り始めている。
 

 

保健室の養護の先生、カウンセラーさん、浪人中の予備校の先生…。大学に絶対行きたくて、東京の女子高に面接に行ったとき、声をかけてくれた面接官のひと。人に受け入れられたい願望強いから、外の人に認められて、「そのままでいいよ」って受け入れてもらえたことが大きかった。
 自分が今こうして生きている原点は、不登校のときに出会えた人の支えがあるから。悩んでいるときは必死で、自殺を考えたこともあるけど、ちゃんと学校に行けていたら、今のように考えなかったかも知れない。人との出会いに恵まれ、本当に多くのことを学んだ。今の私を形作っているのは、学校に行けなかったときの人々との出会いです。だから不登校が汚点だとは思わない。一般的には、不登校は「回り道」かも知れないけど、今振り返ると、まっすぐの道を歩いてきたと思います」

会田− 不登校のフリースペースで気になるのは、不登校の子どもだけが集まっていて、外との出会いがないとすればどうかということ。受容だけでもどうかと思ったりするんだけど。

「一人でも人間関係ができると、自然にスペースとか場を出ていくんですよね。人生の踊り場のようなもので、ちょっと休める場があるだけで違う。学校に行かない時間は、私にとって人生の踊り場でした。誰もいない放送室で過ごしていた時は、外で足音がするとあわててカギを閉めました。養護の先生がいる保健室のほうがずっとよかった。保健室は病気だから、教室に行かなくてもいいと正当化する理由にはちょうど良くて。教室でなくても学校に「いてもいい場所」があるのは大きかったです。

 結局、卒業式には出なかったけど、卒業前に誰もいない教室に入って、黒板を掃除して帰ってきました。中学校の制服は嫌いなんだけど、いまだに捨てられない。学校に行けない人ほど、学校への執着があるんじゃないかなあ。みんな学校に行きたいと心では思っていると思うし、自分で外に出たくなる。周りが思うほど、子どもは弱くない。そういう力がある」

佐藤− 場面場面での出会いが大きかったんですね。親とはどうでした?

「母は幼稚園の先生で、地域では社会的地位もある、強い母。お母さんだけど、吉柴先生みたいな。その母が占いに行って「良い方角の水を飲むといい」と言われて、私にその水を勧めたんですよ。すごく怒って、ぶつかり合ったけど、それは私にとってお母さんになった瞬間でした。母がどれだけ悩んで、心配したのか。占いの水も一つの愛情表現だったんだなあって。親の会に行ってから、分かったことかな」

佐藤− 親の会などで、お父さんの姿が見えにくいなと思うことがあります。吉柴さんは今、大学で「父性」に関心を持って勉強していますが。

「父は大人しい性格で。あとで知りましたが、父は母に「一番苦しいのは美奈子なんだから、待ってよう」と言っていたそうです。父が母のワンクッションになっていたんですね。「あら、お父さん」とびっくり、見直した。一瞬だけですけど(笑)。
 ゼミの先生に「教育問題について調べなさい」と言われて、友達と二人で教育指導要領とか読んでいたんですけど…学級崩壊とかって先生だけが悪いんではないんだなあって思った。家庭できちんとした型を教えられていないんだと思います。ゼミの先生から「じゃあ、父性について調べてみたら」と言われて。父性って物事をきちんとまとめる力、指し示す力だと思います。生きていく以上、ある程度の型が必要じゃないですか。それはお父さんだけじゃなくて、人間すべてが持つべきで、人間としてこうありたいっていう…。今の子供には型が与えられていないから迷ってしまうのでは。何か壮大な論になっちゃって…母親が受容する力なら父性はそっと肩を押してくれる力かな」

佐藤− 自分の体験を示して行けるのも、父性だと思う。吉柴さんは自分の言葉で語っているから、本当に伝わる。でも、本当のコミュニケーションは傷つくこともある。

「きちんと言葉にしないと、黙っていても分からない。言葉になると、嫌な感情が生まれたりするけど、「言い方、感じ悪いね」って言われれば、「こういう言い方はダメなんだ」ってことは分かる。嘘は言いたくないし、私じゃすぐバレちゃう(笑)。自分が精一杯なのかも知れないけど、嘘をつかれるのは嫌だから。話しを聞くのもすごく好きです。本音で話してくれれば嬉しい。人の話しをちゃんと聞ける人間になりたいです。最後まで聞かないと分からないし。

話す吉柴美奈子さんの写真です

 色々な人に支えられてきたから、今、生きていられる。自分が語るときは、自分だけでなく、出会った人々、バックの存在を示しているように思います。自分は一人じゃないし、一人じゃ生きていけない。周りは自分の生き方に誠実な人が多くて、人間関係が恵まれていました。自分の体験だけが正しいわけではないけど、自分の実感したこととしては話せる。自分ができる表現方法ですから。人と話すときも、一般論じゃなくて、「あなたはどう思うの?」、あなたの本音が聞きたい。本音を聞きたいから本音で話をすると言っても、社会に出たら「たてまえ」で生きていかなくちゃならないこともたくさんあると思う。それはそれで大変かなあと」

佐藤− 本音で話をするだけじゃなく、そういう立場の人を理解していくことも今後の課題ですか。
豊田− ウーン、でも吉柴さんには変わって欲しくないなあ、ずっとそのまま行って欲しいような(笑)
「たぶんそんなに器用には変われないし、私は私のままだと思います(笑)」

佐藤− 将来の夢は?
「大学は希望通りに入れて、「人形劇」のサークルに入ったけど、だっと騒いでだっと忘れるという雰囲気に馴染めなかった。仙台がいやになって家に帰ったこともあります。でもその後友達やゼミの同級生と話ができて、少しずつ楽になりました。とりあえず話をしないと自分の気持ち、相手の気持ちがわからないと思った。
 アルバイトも何もしていなくて、3年になって少し授業が暇になったとき、朝日新聞でたまたま、青葉区二日町の「フリースペース」の記事を見たんですよ。それで電話した。自分が本当にカウンセラーのような仕事をやっていけるかどうか確かめたかったから。ゼミの先生に今度不登校の小学生のボランティアをするって報告したら、「吉柴〜お前大丈夫なのか?自分の生活あってのボランティアだからって…そう仕事にすると辛くなってしまうかも」って。小娘で、重い責任を持てる自信もないです。私が受けていたカウンセラーさんも、「一緒に共倒れになったらいけない」と言っていました。私、思い入れが激しいので、歴史の勉強していて第二次世界大戦になったら、戦時中になっちゃうんです」

佐藤− 仕事にはしたくなかった?
人と関わる仕事はしたいです、学ぶことが多いから。人と会って10回へこんでも1回いいことあると、「やった〜」って頑張れる。ああ自分には一瞬の出会いがあればやって行けるかなあと。人と関わっていく以上、自分はこのまんまだと思うので、敢えて仕事には拘らない。自分の体験だけなので、仕事にしたら辛いだろうし、責任とれないと…。理想は理想だけど、自分のやりかたでやっていける自分がいて、今嬉しいことを受け入れて、自分がどうありたいかを考えて、ちゃんとやっていたい」

インタビュー風景の写真です

吉柴さん(中央)を囲んで、佐藤、中島(奥)、真鍋(敬称略)

佐藤− 私もカウンセラーなので、相手の問題に自分が入ってしまわないかどうか、非常に悩みます。今、不登校の子どもさんに何と言ってあげたいですか?
「何かの形で話ができる時がきっと来るからって…。自分の気持ちを出すように、自分の言葉で表現してって…弱さを出してもそれでいいんだと…。「大丈夫」。大丈夫という言葉を返せれば。私、「大丈夫」という言葉がすごく好きです。どこかでつながっているように思えるから、「大丈夫」と言われると嬉しい。もちろん、無責任に言われるのは嫌ですよ。信頼関係があってこその「大丈夫」だから、すごく安心する。自分が言われて嬉しいので、人にも言いたい。
 子どもはみんな力を持っている。大丈夫、きっと大丈夫になる。また歩いていく力がつくから大丈夫だ、とわたしも言うようにしています。周りが思うほど子どもは弱くない。だから「あなたも大丈夫だし、私も大丈夫」。大丈夫になるのは、明日かもしれないし、10年後かもしれない。でも、大丈夫。私自身、不登校から8年たって、やっとちゃんと自分のことが話せるようになったし。
 そういう「大丈夫」が言えるように、相手に一歩入りたい。苦しいこと、つらいことがあっても、共有できれば。分かってやろうというのは、自分も「けっ」てなります。「分かってやろう」ではなくて、「一緒にいたい」という感じで相手に接したいです」

豊田− 「頑張れ」って言っちゃいけない言葉だったりする。「そんなに頑張れないよ」って。
「頑張らずに休んだ選択が良かった(笑)。不登校は自分の人生で初めて自分で決めたこと、敢えて行かないことを選びました。それを誰のせいにもできない。自分で変わりたいと思ったから。きっと変われると思ったから。人と出会えて分かってもらえて、自分で自分の輪を広げて来たという自信もあります。「大丈夫」って人にも言うし、自分で自分を奮い立たせているところもある。「大丈夫」っていつも言える生き方をしていきたいです」


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