NIYONIYO
永遠の火(モンゴル)をつなぐ
モンゴルの由来は、monk・gal(永遠の火)、 monk・gol(永遠の川)の2通りの解釈がある。いずれ民族の永続への願いが伝わってくるようだ 草に生き 家畜にまかせ 草原を
         移ろう民は神話のごとし
                       佐藤きよみ

     
聞き手 (会田正宣 佐藤きよみ you-ko)
ナチンションホルさん

ナチンションホルさんの写真です

会田−まず、遊牧文化の特色を教えて下さい。
「私は遊牧文化をこよなく愛しています。遊牧は自然をそのまま利用し、人間が欲張りせずに自然と融合して恵みを受ける。モンゴルは気候が乾燥していて植物の成長期が短く、一度自然を破壊すると復元が難しい。定住農耕は砂漠化を招きます。
 遊牧は家畜任せで、家畜は好きな葉を求めて移動する。家畜が葉っぱを食べても根は残り、移動の間に植物が再生する。人間は家畜についていくだけです。現代の発展は自然を破壊しながら築かれてきた。それに対して、遊牧は自然とともに生き、モンゴルの環境に合ったライフスタイルです。
 兄弟や親戚、仲の良い人などが数家族同士で、互いに助け合って共同作業を行う「ホタアイル」という伝統も特色です。アイルは家、隣人といった意味。自然が厳しいので、助け合わなければ生きて行けませんから。

中国・内モンゴル自治区ハイラル市出身。名前はモンゴル語で「はやぶさ」。妻スエーさん(たけのこ)。娘さんムンクズゥールちゃん(永遠の灯火)。内モンゴル師範大で生物学を学ぶ。長崎県雲仙コロニーで乗馬療法を行っている、社会福祉法人南高愛隣会との出会いから1994年、来日。東北大大学院理学研究科で植物生態学専攻。1965年生まれ。
話しは変わりますが、マトンを日本で食べると、おいしくないですね。すごく肉が臭う。羊を小屋で飼っているから、羊もストレスがたまるでしょう。人間の都合で飼って、肉にするだけだからではないか。牛の肉も鍋に入れると、あくがたくさん出ますね。モンゴルとはと殺の仕方が違い、肉に血がたまっていると思います」

会田−ナチンションホルさんは都会育ちですが、遊牧生活の経験は?
「最初の経験は中学生のとき。1979年、中国・ベトナムの国境紛争で中国と当時ソ連の緊張が高まり、ソ連と国境を接する内モンゴルで都市住民の疎開が行われたんです。親戚のおじさんのゲルに約一ケ月疎開し、初めて遊牧に触れました。馬に乗ったのも初めてで、ゲルに向う途中で雪原で落馬してしまいました。私はそりで送ってもらったが、馬は先にちゃんと帰っていました。それからは毎日、乗馬。馬に乗ると、風の音しか聞こえなくなる」

                    疾走は おのれは誰と問うに似て
                          少年と馬と風に競えり
会田−モンゴル本国は?
「本国はソ連の影響下で自由に行き来できなかったが、1980年代後半から民主化と開放が進みました。私が妻と二人で、モンゴル本国に初めて旅行に行ったのは91年。「ああ、これがモンゴルだ」と、わけの分からない懐かしさがわきました。血の中に流れているんでしょうね。そのとき、障害者のための乗馬療法を行っている「社会福祉法人南高愛隣会」の理事長がトレッキングに来ていました。日本語を勉強していたので通訳を手伝った縁で、乗馬療法の牧場がある長崎県の雲仙コロニーに研修生として日本に来ました」

会田−生態学を研究しようと思ったのはなぜですか?
「故郷の内モンゴルでは、定住生活が勧められてきました。「定住して農耕すれば、生活が安定する。なぜ、移動の大変な遊牧を続けるのか」ということですが、そのために草原が荒れ、砂漠化が進行するという悪循環に陥りました。自分たちの遊牧文化の基盤が失われていく姿を見るのは、とても悲しい。自分に何ができることがないかと思い、遊牧と植生の関係を研究したいと思いました。

モンゴルの草原の写真です

スーホの白い馬の国より抜け出でて
           少年は若き科学者となる

 サイエンスは普遍性を追求するが、私の場合、文化人類学的な側面が強い。家畜数がどれくらいなら、草原の環境に負荷をかけずに済むか、キャパシティをはっきりさせたい。遊牧も変わっていきます。変わることは誰にも止められないが、どう変わるのか。モンゴルには約3500万頭の家畜がおり、やはり一番の財産だと思います。自分たちの民族がどう生きるのか、自分たちの国を大事にするために、どんな方向に進むのか。そのための基礎データを集める作業です。将来、研究者として内モンゴルに戻りたい」

会田−ナチンションホルさんが研究を志したとき、同じような研究は盛んでしたか?
「今まで家畜の採食頻度、採食圧と言いますが、それについての研究はたくさんありましたが、採食圧と気候、具体的に言うと降水量、湿潤度を同時に考慮に入れた研究はありませんでした。我々は今、モンゴル本国内で、北部から南部にかけて3カ所にフィールドを持って研究しています。北部は気候が湿潤で草原が豊かなので、家畜も増えている。南部は乾燥地帯で植生が貧弱、養える家畜に限度があります。異なった気候条件と家畜の採食圧がモンゴル草原に与える影響を明らかにしようという取り組みはモンゴル草原では初めて。研究はモンゴル畜産科学研究所やモンゴル国立大学などと共同で行っていますが、これからのモンゴル研究に役立つと思います」

会田−日本に来て、どんな文化の違いを感じましたか?
「モンゴル人はとにかく、お客が来るのを非常に喜びます。人が少ないからね。お客が来れば、ありったけの料理を出して歓迎する。夜中の何時に人の家を訪ねても、迷惑どころか、向こうは待ってましたとばかり。日本では引越しをすると、タオルなどを持ってあいさつ回りをするでしょう。あれは不思議でした。モンゴルだったら、あいさつ回りに行く前に、みんな集まってくる。
 日本に来て、長崎でバスケットボールをやりたいと思い、体育館に行って相談したところ、「バスケットボールのグループに、仲間に入れて下さいとお願いすればいい」と言われました。こちらから「仲間に入れて」とお願いする感覚が分からず、ショックでした。仙台の大学でも、学生たちがバスケットボールをしていたので、友人のモンゴル人留学生と飛び入り参加したら、学生たちがバスケをやめて帰ってしまったことがありましたね」

草の民 ひと恋しくて客人に
     馬乳酒汲みて 太き息せり

ゲルの写真です

you-ko −私の父は、テニスのインストラクターとしてモンゴルに行って、日本語が話せる女の人と知り合いになりました。その人がいきなり、「日本に来たい。行って良いですか」と家に来たことがありました。旅先の知り合いの所にすぐ飛び込んでくるという辺りが、私には思いも寄らなかった。父も喜んでいて、いい意味ですけど。
「モンゴルでは、旅先で友達になるのは当たり前。草原を移動する生活は不安定だから、困っている人がいれば助ける。自分がいつ同じ立場になるか分からないからお互いさまです。ただ、それが日本でも通じるかどうかは別問題で、「日本では通じない」ということを考えられるかどうかは個人のセンスでしょう。自分の時間や空間を持つ、プライベートという考え方は、日本に来て知りました」

佐藤−モンゴルの人の女性像は?
「モンゴルでは男が外の仕事をして、女性は料理や乳しぼり、乳製品加工など内の仕事をします。田舎では女性の立場は弱いが、都会では失業率が高く、男が家でごろごろしているうちに、女性がだんだん強くなっています。強くなるはずです。すべて家事をもりもりやっていますからね」

会田−日本と変わらなくなってきているのかな。最後に、モンゴルと日本の関係について。
「モンゴル人は日本に親しみを感じています。本国の海外援助のトップは日本。内モンゴルは旧満州に属し、父は日本語学校に通っていたので、日本語も多少話します。今、仙台のモンゴル人留学生たちでサークル「アイル」を結成しており、お互いに交流して、モンゴルの自然や文化、歴史を知ってもらい、モンゴルに関心を深めてもらいたいと思います。」


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