NIYONIYO 2007年夏号
江藤淳のこと
           〜1999年7月に自殺した文芸評論家・江藤淳氏を悼んで

江藤先生のこと  会田正宣

「若い人は成長が早いなあ」。慶応大の湘南藤沢キャンパスの一室。文芸評論家江藤潤はゼミの卒論の中間発表で、僕を含めて、その日当たった数人の発表が終わると、顔をほころばせながら、そう言った。僕は大学で江藤先生のゼミを取った。大学では3、4年生の半期ごとにゼミを選べる仕組みだったが、僕は2年間、先生のゼミにした。文学部でもなく、一応政治経済系の学部に所属していたが、文学に興味はあったので、先生がいらっしゃることを良いことにお世話になった。
 文学の知識はろくになかった。ゼミ生の仲間には、本当に優秀なやつが少なくなかった。僕は飲み会幹事だった。3年生最初の半期は自由テーマで、僕は中原中也の生涯を適当に区切り、詩にどう現れているかといったテーマを少しやった。4年生のときは、バフチンのドストエフスキーの分析を学んだり、源氏物語の英訳を少し読み、翻訳がどんな印象に変わるかを体験した。
 卒論は自然主義作家・徳田秋声の文体分析にした。先生が以前、何かの際に秋声の話をしており、少し頭に残っていたからだ。それまで秋声の作品など読んだこともなかった。読んで、なんともよく分からなかった。劇的な展開、ストーリーがあるわけでもない。淡々と、いろいろな庶民の人生の日常だけが描かれている。いろいろ考えた。当時、僕は哲学にも少し興味があったので、井筒俊彦のイスラム哲学、西田幾太郎などを読んでいた。そのうち、東洋哲学での無の位置付けに引っかかり、秋声の文体は何か一つの側面だけで分析できない、充実した無に似ているのではと思い、それを卒論のテーマにした。
 「あのころは」とは言わない。あのころ、とても幸せだった。自分の遅い読書ペースでドストエフスキー、ジッド、ロマン・ロラン、トルストイなどを読んでいた。読んで、考えるのがとても楽しかった。「学問」の喜びを自分なりに味わった。学問自体を深めたわけではない。学問という世界があり、「学問って、楽しいものなのか」ということを感じることができた。
 卒論の相談に先生を訪れたとき、先生は特に「この作品を読め」といったアドバイスはしなかった。僕が「これを読み、こう考えた」といったことを説明するのを、うなずきながら聞いていただけだった。ちょっと肩透かしを食ったと思ったのが本音だった。「先生はもっと深い世界を知っているのだから、その中から何か、もっとすごいテキストが出てくるのでは」と期待していたからだ。アドバイスが一つあったのは、あれこれ言う僕に「あまり多く持ち込みすぎない方がいい」ということだけだった。あとは、先生はにこにこしながら、黙って聞いていただけだった。
 その後、「学ぶということは最終的に、自分で学ぶしかないからだ」と思った。自分で考え、自分で探し、自分で感じ、自分で学ぶこと…。学んだ末の結果には是非、当不当があるだろう。しかし、自分で学ぶ、そのプロセスが最も大事なことなのだ…と。
 先生の深い考えを理解していないことを重々承知の上で言えば、先生の思想と僕は考え方を異にする部分がある。
 先生に、学ぶことの喜びを教えていただいた。学ぶことは喜びである。あのころ、そのように心から感じられて、今も自分の中で、学ぶことの喜びを感じることができる。先生は天国から、見守っていてくださるに違いない。

【会田正宣】
 学生時代、環境問題を研究するサークル「なちゅれ」を主宰。楽器や空手など四方八方手を出すが、身につかないことばかり。気の多いB型。今は中国語に取り組む。アイルランドのロックグループ「U2」ファン。記者。横浜出身。

「叱る大人  江藤淳先生を偲ぶ」  勝本修三

 よく怒る先生だった。
 私が大学生だったとき、江藤淳先生は一般教養科目の「現代芸術論a」「現代芸術論b」、専門科目の「伝表現達論」「創作過程論」という4つの講義をご担当されていたが、それらすべての講義で私たち学生をしばしば叱られた。ときには、試験の出来が悪かったことに対して嘆かれたことなどもあったが、ほとんどの場合は講義中の私語に対してであった。こそこそと会話をする学生を見つけると、突然講義を中断し、小柄な体の全身を震わせ、顔を真っ赤にして怒鳴り散らされた。そのあまりの迫力に圧倒されて、その後の講義はしんと静まり返ったのはもちろんのこと、ぴんとした空気が講義終了までずっと教室に張り詰めていた。
 教育再生が国家の最重要課題として掲げられていることを挙げるまでもなく、未成年者による凶悪犯罪の増大や、社会の基本ルールを踏み外してすぐにキレる子供の増加は現代日本が抱える深刻な問題である。その原因としては、学校教育のあり方や家庭での親による躾のしかた、激しい暴力描写が日常化した漫画やゲームの影響などさまざまの要素が複雑に絡み合っていると言えるが、江藤先生のような「叱る大人」の減少がやはり大きいのではないかと思う。
 思えば、江藤先生は学生を厳しく叱る教育者であったと同時に、鋭い洞察力をもって政治や社会を叱る批評家であった。そしてまた、「子供のような大人」が増え続ける中で、確固たる常識と良心を備えた「成熟した大人」のモラルを体現されていた。江藤先生の告別式に参加した石原都知事はマスコミのインタビューに応えて「これでまた一段と日本はつまらない国になってしまう」とコメントしたのを記憶しているが、これは同じく「叱る大人」である同知事の、信頼できる同輩を喪失したことに対する痛ましい心中を表していたのであろう。
 「叱る大人」としての江藤先生を想うとき、「叱れない大人」としての自分を恥じずにはいられない。お年寄りが目の前に立っているのにも拘わらず、電車の優先席に堂々と座り続ける学生に対して、混雑した禁煙区域で歩きタバコをしている人に対して、私はほとんどの場合、ただの傍観者である。叱るべきだと思っても、面倒臭く感じたり、逆ギレされて揉め事になることを恐れたりしてしまう。
 江藤先生の亡くなったこの時期、大人としての責任について、いま一度考えてみたいと思っている。

【勝本修三】
 なんちゃってワインエキスパート&らーめんオタク。ワインとらーめんのマリアージュについて研究中。 最近ハマっているのは幕末・維新史の読書。東京都在住。

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