NIYONIYO
手渡しの未来への切符
鮮やかなる、あるインドネシア人コミュニティーの話
(ユウコ)

インドネシアという国に興味を持つようになって、何年になるだろう。南国の人々の屈託のない笑顔にひきつけられた。「同じ南の国なら、他でもいいのかな・・・」と他国も訪れたが、インドネシアほどには惹かれなかった。私の大好きな国、インドネシア。そのインドネシアの人々からなる、あるコミュニティーの話を書こうとおもう。


地震の募金活動を行うインドネシア人留学生
 2006527日、5,800人が命を落とした中部ジャワ地震。わずか2週間後の休日、仙台市内のアーケード付近に立つ、インドネシア人留学生たちの姿があった。ちょっとカタコト風な日本語で被災者のための募金を呼びかける彼らの姿が、朝から陽が落ちるまで消えなかった。在日インドネシア留学生協会宮城県支部のメンバーたち。名前の通り、留学生が構成するインドネシア人コミュニティーだ。もちろん本分は学問で、ある者は朝に募金活動に参加して、昼に大学にもどり、ある者は大学を終えて募金活動に参加するなど、見事なチームプレーで募金活動を行った。地震前の514日に会長となったばかりのZamrun(ザムルン)氏は「急ですし、大変でしたが、自分は遠い日本にいて、現地で救出活動などをするわけにはいかない。自分ができることとして、募金活動をしただけなのです」と事も無げに語る。

この地震前にも、たびたび祖国は災害に見舞われてきた。在日インドネシア留学生協会宮城県支部として初めて募金活動を行ったのは、2004年12月末のスマトラ沖地震(インドネシアだけで死者13万人以上を出した)の時であったという。ニュースで流れる祖国の惨状。留学生の家族にも被災者がいた。仲間の一人が「僕たちは何もしなくてもいいのか!?」と投げかけた言葉に、当時の会長Warih(ワリー)氏は居ても立ってもいられず、すぐさま仲間を集めて会議を開き、募金活動の実施を決めたという。「ノウハウなどと言っていられなかった。すぐやらなくてはいけないと活動に踏み切った」と当時を振り返る。年末年始の多忙な時期の上に、仙台の冬は寒い。南国の彼らにとって、街頭に立つことはどんなに辛かったろうか。それでも募金を呼びかけ、約240万円を、赤十字を通じて祖国に届けた。
 インドネシアと日本では、お金の価値は随分違う。一般にインドネシア人にとって日本で生活するということは経済的に大変なことに違いない。ましてや留学生である。大学での研究で時間的にも十分忙しいはずであるが、彼らは自分のことだけを考えない。いつでも、自分の事だけでいっぱいいっぱいになってしまう私が、心から尊敬する彼らの美点だ。
 さて、一般にお金を寄付・募金する時、その先のお金の行方が気になる人は多いのではないだろうか。寄付しても正しく対象者に届いているかどうか信用しきれず、募金には積極的になれない。私はそんな人間の一人だ。しかし、その私が「これは・・・」とうならされた、彼らコミュニティー独自のプログラムがある。
 驚くべきことに、彼ら在日インドネシア留学生協会宮城県支部は、全くオリジナルの、祖国の貧しい子供たちへの奨学金プログラムを創り出し、運営しているのだ。そのシステムは人任せにしておらず、寄付したお金がちゃんと相手に届くように、最後まで彼らの手を通してなされるように作られている。

 発端は、2003年に仙台市で彼らが主催した「インドネシア祭り」。多様な自国文化を日本の人々に紹介しようと行ったイベントだが、来場者は600人を超え、利益を生んだ。メンバーが終了後、利益金の使い道について話し合ったところ、「教育の為に使おう」とのアイディア以外は出ず、奨学金創設で満場一致した。祖国は発展途上で、貧しい人々も多くいる。教育を受けられる人を増やすことで、貧困層が自ら生活を良くしていけるようにと考えたのだ。
インドネシア祭り

奨学金制度創立当時からのメンバーYonan(ヨナン)氏に、当時の様子を聞いた。「使い道は奨学金に決めたが、そのお金の使われている状況が見えないのは嫌だった。だから、自らの手で子供たちに奨学金を届けられるようにしました。宮城県にいるメンバーのほかに、既に留学期間を終えて祖国に戻った者がいます。そのメンバーが現地で、学校を通じて経済的に困窮している子供を探し、情報を宮城県支部に伝えます。親の収入や家族構成などをもとに子供を選び、奨学金はインドネシアメンバーを通じ、現地の子供の親に学期ごとに支給して、我々は学費として使われたかどうか、領収書のコピーをもらって確認します。単年での奨学金では意味がないと考えたので、選んだ子供が卒業するまで奨学金は続けます」。
 留学生もインドネシアのメンバーも、本業の傍らのボランティア作業。設立当時は奨学金のやり取りがうまくできないなどの失敗はあったそうだ。が、大きなトラブルもなく、ここまで運営している姿は、ただただ、鮮やかだ。「自分の生活もあるのに、面倒くさい時はないの?」との私の率直な問いに、「システムを作った時は大変だったけど、一度できてしまってからは大きな負荷はありません」と笑顔で答えてくれた。慣れない外国で、様々な障害を越えて生活している彼ら。なぜ、自分のことに精一杯になってしまわないのか。Yonan氏とともに奨学金を担当するLusi(ルーシー)氏は「大変なこともありますが、現地の子供たちからの手紙に『ありがとう』とあると嬉しくて、やってよかったと思います」と頬を緩ませた。彼女自身、子を持つ母親であり、学生である。イベントの利益がたまたま出たことをきっかけに、すぐさま「やってみよう」と、継続的な活動に繋げていく彼らの行動は鮮やかで、私には眩しくてたまらない。
 彼らの奨学金制度の資金はその後、2005年にも行われたインドネシア祭りの収益金が主だ。その他は、メンバーや一般からの寄付でまかなっている。奨学金を受ける子供の数は、2003年は40人、2004年は78人、2005年は73人、2006年は108人と、着実にその数を増やしている。教育を受けた現地の子供たちは将来、どのように感じ、未来を変えていくのだろう。日本の一地方都市に住む小さな外国人コミュニティーの活動が、祖国を変える。そして、その姿に触れた私たち日本人の心をも震わせはしまいか。

在日インドネシア留学生協会宮城県支部は、奨学金プログラムへの一般の寄付、支援を募っている。

在日インドネシア留学生協会宮城県支部のHP
http://sendai.tohoku.ppi-jepang.org/old/index.htm

トップに戻る 【ユウコ】 1973年、茨城県生まれ→仙台市在住。社会人5年目。好きなことは「おえかき」をすること。SNOWBOARDは7年め。アジアンな格好もだいすき。将来、Indonesiaで暮らせるといい(でも雪山がないな)。
感想コーナーへ行く
メールで感想をお寄せいただいた方に、オリジナルデスクトップ壁紙プレゼント!