NIYONIYO
弓と言葉
(会田正宣)

少し、弓道を経験した。
 弓を引く一連の動作は、射法八節として、大きく八つの動作で教えられる。土台をつくる「足踏み」「胴づくり」など諸々あるが、その中で、弓を引く極致が「会」と「離れ」である。「会」は、弓を引き分けてきて、最も深く弓を引いている状態を指し、次に矢が放たれる瞬間が「離れ」である。会と離れは連続し、不即不離である。仏教用語の「会者定離」に由来するともされる。
 言葉に関わる仕事をし、プライベートでも言葉に関係したところをふらふらしている。

 言葉には、矢に似ているところがあるように思っている。一度放たれた言葉は、自分を離れて、相手にどう伝わるか分からない。手放してゆだねるしかない面がある。矢も言葉も届けたいものであり、届いたときは嬉しい。届かなかったとき、悲しさを感じることもある。「的を得る」とはよく言ったものだ。
 

 弓で良いと思っていることの一つは、的が不動であることだ。周囲の先輩などにアドバイスをいただきながらだが、最後に問われるのは自分だ。そして、次の的に向かうしかない。良い孤独がある。 言葉を放つと、言葉が返ってきたり、返ってこなかったりする。余計な思いが生じたりもする。でも、結局は自分自身を映す鏡のようだと思う。
 会うは別れのはじめ、一期一会…。的前に立って、弓を引かないことは許されない。うまくいかなくても、一度離れに至れば、また次の会に入るよりほかない。「離す」と「話す」の音が一緒なのは、偶然なのだろうか?人が産声を上げ、最初の言葉を放ったときから、人は弓を引き始めているようなものかも知れない。

トップに戻る 【会田正宣】 学生時代、環境問題を研究するサークル「なちゅれ」を主宰。楽器や空手など四方八方手を出すが、身につかないことばかり。気の多いB型。今は中国語に取り組む。アイルランドのロックグループ「U2」ファン。仙台在住の記者。横浜出身。
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