NIYONIYO 2005年春号
「楽しいから」
門間尚子さん 聞き手 会田正宣 奈津野曽良 高橋理麻 桃花

会田−市民活動に関わるようになったきっかけは?
「児童虐待に取り組む市民団体『CAPネットみやぎ』が電話相談員の養成講座を開いており、その講座を受講しました。児童虐待の問題がマスコミでクローズアップされるようになっていたころですね。子育て中の友人が、深刻ではなかったけど、育児が大変で煮詰まっていました。新聞に載った講座案内を見て行ったのですが。社会問題だけど、自分の身近なところで、当事者とともに問題解決していこうと立ち上がる市民活動に、漠然と感じることがありました。そのころは市民活動、NPOといった言葉も知りませんでしたし、意識もしていませんでしたが(笑)。NGOだと『国境なき医師団』『アムネスティ』といった名前は知っていましたが、身近には思っていませんでした。
 その後、
DV(ドメスティック・バイオレンス)や離婚、女性の人権に取り組み、民間シェルターを運営しているハーティ仙台のメンバーになりました。ハーティ仙台は電話相談、シェルターなどの活動をしており、私は当事者の自助グループを中心に関わっています」
会田−その後、NPOに関わるため、せんだい・みやぎNPOセンターに行ったのですか?
「実は偶然です。私は法律事務所に勤めていて、法律の専門学校に行こうと思って、学費稼ぎのアルバイトを探していたら、ハローワークでNPOセンターの仕事が見つかったんです。ハローワークの人も内容は分かっていなかったと思いますけど、『こんなのあるよ』と(笑)。偶然の出会いから広がりましたね」

【門間尚子さん】
東北学院大法学部卒。地元企業の経営戦略部門、不動産鑑定士秘書、ライター等を経て、2001年−2004年3月まで、NPO支援センター「特定非営利活動法人せんだい・みやぎNPOセンター」職員。ドメスティック・バイオレンス(DV)などの女性問題に取り組むハーティ仙台で、被害者の自助グループの相談員、離婚とDVに関する電話相談員を務める。ホームレス支援のNPO法人仙台夜回りグループにボランティア参加。NPOの情報発信を手伝うフリーペーパー「てんぽていすと」を発行するNPO広報サポートTEAMてんぽて代表。2004年6月、仙台市で、高橋邦典写真展みやぎを開き、実行委員長を努めた。その後、同実行委メンバーにより、「いーぐする市民団」を結成。「いのち」をテーマに2005年1月22日、写真展、演劇、ライブ、講演、パフォーマンス、トークセッションなどによる「Smile Jam Round 1」を開催。

会田−意外でした。NPOセンターではどんな仕事を?
「2年半、新規プロジェクトを担当していました。今も続いているプロジェクトですと、『せんだいCARS』『VOICE OF NPO PROJECT』というイベントを立ち上げ、各NPOの広報支援を行っていました。団体と団体、団体と企業、団体と個人をつなぐ仕事で数十、数百の団体が相手だったので、色々な活動を見ることができて良かったです。
 またラッキーだったのは、次代の
NPOの人材育成事業に対して日本財団から助成を獲得できました。NPO支援センターの人材養成の事業で、全国で17人が選ばれ、参加しました。研修があり、自分が担当している新規事業について進行状況を記録、チェックしてレポートを書いたり。一般企業では仕事として当然のことですよね。でもNPOの歴史が浅く、仕事としてNPOをする人も少ない。法制度や税制の問題などもありますが。個人的には事業や人のマネジメントのことなどを勉強させてもらって、基礎になりましたね」
会田−研修で学んだことや感じたことについて、もう少し教えてください。
「細かいことから言えば、事業計画のつくり方、予算の立て方といった基礎的なことから、人材や組織マネジメントなどかな。想像力を広げることの大切さは徹底されましたね。事業展開、なぜ事業をやるのか目的を考えるとき、企業では利益ですが、NPOは困っている人の問題解決に当たるわけです。自分は当事者ではないけど、その人たちがどう困っているのかなどを想像して、リサーチの仕方や解決方法を考えなければいけないですよね。これは、すごく個人的な感覚なのですが、企画の時点で細かい部分までクリアーに見えた企画は、必ず上手くいきますね。
 NPOも知らなかった人間ですが、経済でも政治でも社会の行き詰まり感があって、変えるには次の力が必要だと感じていました。日本財団の研修では海外のモデルなども勉強させてもらって、NPOが第3の力になると思い知らされました。NPOはそれぞれ、自分たちが主体的に独自のシステムをつくっていく。NPOは人がミッション、使命感を持って働く思いが強い。日本のNPOはギャラは少ないけど、お金のために働いている人はほとんどおらず、みなさん問題意識を持って貪欲に働いていますよね。あと、プロジェクトマネジャーの研修では、全国に仲間ができたことが良かったですね」

奈津野−高橋邦典さんの写真展も、その流れで開催したのですね?
「センターは昨年3月に契約満了で退職しまして。写真展はその前、2001年の9・11が始まりでした。映像を見ていてショックを受け、『何ができるんだろう』と思っていました。駆けつけることもできないし、募金だけで良いのかなとか。どうしようと思っていたときに、1昨年12月に本屋の児童書コーナーで、高橋さんの写真絵本を見つけました。それこそ、ドラえもんの本などと一緒に並んでいるようなコーナーで。

 私は国際情勢は分からず、苦手で、人前で話さないようにしていました。『何派なのよ?』などと聞かれても困るし、『いえいえ、ノンポリです』みたいな感覚で。分からないので、踏み込みたくないと思っていた分野でした。でも、高橋さんの写真絵本を見たとき、子供向けに簡単に分かりやすく書いていました。『どこの国が良い、悪い』ではなく、『戦場ではたくさんの人が死んでいる』と。人の生死、それも戦争では自然な死に方をしませんよね…。私が思っていたのは、こういうことだと思いました。一人で悶々と考えるだけでなく、話をしたい、次の世代とそういう話をしたいと思いました。ハーティなどの活動を振り返って、『次の世代に一つでも多くの選択肢を残したい』と思っていた自分に再度、気づきました。写真絵本を多くの人と見たい、自分やたくさんの人たちが家族、友人などと見ている光景が浮かんで、『これがやりたいこと』と思いました」
会田−写真展の反響はいかがでしたか?
「おかげさまで、一週間で仙台で3120人の来場者がありました。子どもと家族を大きなターゲットの一つにしましたが、写真の前でお母さんが子どもに丁寧に説明していたり、子どもが大人に説教したり(笑)。ありがたいことに、評判も良く、お客さんにも、実行委員も満足度が高かったです」

【高橋邦典写真展について】
 高橋邦典さんは仙台出身、1989年に渡米し、ベトナム戦争取材でピュリツァー賞を受賞した沢田教一にあこがれ、報道写真家として活躍。2003年、米海兵隊に従軍してイラク戦争を取材。部隊を離れての単独取材も合わせて、子ども向けの写真絵本「ぼくのみた戦争 2003年イラク」(ポプラ社)を出版。
 写真展はイラク・リベリア・南アフリカ・ハイチ等の紛争地の写真53点を展示。写真だけでなく、全国のNPO/NGOの協力により、多角的な視点で「いのちの大切さ」を再確認するワークショップも開催。仙台は3120人が来場したほか5カ所で開催され、総計約8000人が来場した。仙台の実行委員会は10代〜70代の主婦、学生、企業人、行政人など市民約50名。


会田−始めるとき、不安はなかったですか?
「なかったですね。失うものがないので(笑)。素人だから、できるかなと思ったけど、周りの友人や、仕事でつながったNPO関係者など300人ぐらいにメールを出したら、3分ぐらいで返信が来て、不安は一切なくなりました。『今は忙しくて手伝えないけど』とおっしゃって、周りに声をかけてくれたりして。実行委員会は約50人になりましたが、私が全然知らない人も来ました」
奈津野−個人で行ったことですよね。資金ベースは?
「お金のことも心配はしていなかったですね…なぜかな?一番最初は予算約20万円で考えていたので、何とかなると思っていました。でも、結局は100万円ぐらいかかりました。はじめは『助成金とか取ってさ』みたいな軽いノリでしたね(笑)。友達からカンパを募ったり、企業回りをしたり、さまざまな団体に行って趣旨を説明したり。結局、助成は5万円しか取れなくて、あとは全部足で稼いで。資金はともかく、『一緒に走れる』という仲間の顔がぱっと浮かんでいたので、心配はありませんでした」

会田−実行委員長として気をつけたことは何ですか?
「最初、私は言いだしっぺだけど、代表は置かずにフラットな場にしたいと思いました。企画、広報、会計などといった班ごとにリーダーは置くけど、トップは置かない。ただ、企画書を各機関に送ったり、口座を開設するのに個人名が必要になりますし、テーマが戦争絡みで色々な所から圧力がかかることも考えられ、個人名を出して大丈夫という人は限られるので、言いだしっぺの私が代表になることになりました。

 気を使ったのは、各委員の『お持ち帰り感』ですね。会議に出席したとき、参画したという満足感を持ってもらうこと。会議に来て何もしゃべらなかったり、ネガティブには返さないようにと。『あなたはとてもスペシャルな存在です。あなたの意見を聞かせてください』と、どうしたら声や存在を引き出すことができるかを一番注意しました。本当に細かいことはともかく、一つ物事を決めるときは、どんなに長時間になっても、必ず全員に意見を聞きました。私自身については、始めに私の意見を言ってしまうと、代表の立場なので威圧的になってしまうので、気をつけました。

 みんな、全体を見て位置を確認しながらこなしていける人たちでした。すばらしい仲間にめぐりあえたなと思います。10代、20代の若者から50、70代の人が一緒になって、人材育成のようなところにもなって。学生さんは社会で働くことについて、会社の人から色々話を聞いたりして。実際、『広告代理店に勤めたい』『なぜ?』『格好良いから』みたいに思っていた学生さんが、志望していた分野がガラリと変った子もいましたね。会社の人は『社員のモチベーションを高める方法を学んだ。会社で実践している』と言ってくれたりしました」
奈津野−その方法は自分で編み出したのですか?
NPOセンターで培われてきましたね。今回は何でもありなので、これまで自分がプロジェクトで培ったノウハウなどを、全部試してみようと。今まで見知らぬ人間同士が互いに信頼し合って、物事をつくっていくので、面白かったです」

奈津野−考え方や価値観が違う人たちが集まったとすると、ぶつかったりすることはなかったですか?
「かなりぶつかりましたよ。話せば話すほどぶつかります。譲れないことだからぶつかる。展示した写真をめぐっては、写真は高橋邦典さんにセレクトをお任せしました。ちょうどイラクで高遠菜穂子さんたちの邦人人質事件が起きて、彼自身のセレクトが変って、53点が送られてきたのですが、その中にリベリアで撮影された写真で、手がほとんど取れて、筋でわずかにつながっている小さい女の子の写真がありました。またリベリアの米大使館前に、遺体を積み上げた抗議の写真も。この2点は、写真展を子どもに見てもらうということを大切にしていたので、実行委員間でとても意見が分かれました。『ショッキング過ぎて、子どもが見てどうか』という意見と、『これが現実であり、展示すべき。戦争は良くないというメッセージが伝わる』という意見です。その作品だけカバーをつけて、見たい人だけ見るといった展示方法はどうか、など色々な議論をしましたが、最終的にそのまま一緒に展示することにしました。そして、スタッフ一人一人が、お客様をケアしようと。写真の前で泣いたり、長時間黙り込んでいるようなお客様がいたら声をかけることにして。この議論は、あとから、『すごく良い行程だったね』と、他のメンバーも言ってくれました。
 実際、『ショック』『見るんじゃなかった』というお客様や、『私はどうしたら良いのでしょうか?』という人も多くいらっしゃいました」
桃花−そうしたお客さんのケア、アフターフォローはどのように?
「お客様には『こんなひどいことが起きているんですよね。私も悩んだ挙句、この写真展をしたいと思ったのです』『家に帰ったら、家族やお子さんに話をしてみてください。こんな写真を見て、こんなことを感じたといったことを話してください』などと話しました。写真の前で泣き出す人もいましたが、とにかく、話をしよう、話を聞こう、話してもらおうと」

会田−今までNPOセンターの職員としてNPOに関わっていたときと、今回の個人での活動で、違いという点では何を感じますか?
「そうですね、NPOセンターから、肩書きがなくなって、ただの門間になったわけで。組織を背負っているときは組織が守ってくれる。せんだい・みやぎNPOセンターは全国的にも大きく、知名度のある優れたNPO支援センターで、ブランドになっていますしね。個人で行う怖さは、全責任が降ってくることです。代表なので、不用意な発言をすると他メンバーに影響を及ぼすことになりますし。イラクの邦人人質事件ではマスコミからコメントを求められたりしましたが、かなり慎重になりました。メンバーへの責任を始めに考えなければいけないですから。
 それから、専従でなくて市民活動を行う場合の辛さは、お礼状が良い例。センターにいたときは、仕事として、仕事の時間中にお礼状を書ける。でも、個人だと次の日から日常が始まるわけで…すぐに『ありがとうございました』と、きちんとお礼や報告をできず、タイミングを外してしまうジレンマ、事後処理ですぐに動けないのが悲しいですね。写真展では後からもどんどん、感想のお手紙をいただいたこともあって、結局、写真展の報告書が完成したのは半年以上後でした」

会田−活動を継続的に続けようと思ったのですか?
「終ってから感想会、反省はしたくないので、感想会としたのですが(笑)、『次はどうする?』ということになりました。写真展は仙台を皮切りに、他地域でも開催の話しが出たので、他地域の実行委員会のマネジメントや、作品の発送、報告書の整理なども必要なので、その分は残務があったのですが、いったん解散しようと思っていました。しかし、みなさん『続けたい。このまま終りたくない』という人が全員で。もちろん転勤や仕事が忙しくなって続けられなくなった人もいますが。でも、『命について多くの人と考えていこう』との思いをみんな持っていました。日常に帰ると忘れてしまった、では嫌なので、写真展で種まきをした責任があるので、継続して『水やりをしましょう』ということで、『いーぐする市民団』になりました。『いーぐする』は、良くするの仙台弁から取りました(笑)。

 それで今年1月、高橋邦典さんの写真は基本として大事にしながら、仙台出身で国境なき医師団に参加して、アフガニスタンなどで写真撮影している山本敏晴さんの写真展や、ホームレス支援のトークセッション、詩の朗読やキャンドル・ワークショップ、ライブなどによる『Smile Jam Round1』を開きました。1月というのは、イラクの選挙があったので、外せない時期だと思いました。写真展は子どもや家族連れをターゲットにしましたが、今回は大人のカップル、女性と女性でも良いし、二人連れ以上をターゲットにしたいなと思いました。実験的にイベント通貨の発行などもできて面白かったです。私もやりたかったことですが、メンバーからもたくさんアイデアが出てきました。一人一人がプランナーになって、それぞれ『こんな人を呼びたい』と出演者を紹介、プレゼンテーションして決めて。
 ただ、写真展は実行委メンバーもお客様も満足感がとても高かったので、スケジュール表もみんな持っていたから、今回は『まだこれができていない』などと比べて焦りが生まれることもありました。私も仕事を始めて専従でできなかったので、手薄になった部分が色々ありましたね。一人、拠点がいると良いのですけど、時間がなくてコミュニケーションが取れないこともありました。継続って難しいですよね」
高橋−一人の思いつきから、ここまで来たのですよね。門間さんはノウハウやスキルを持っているけど、普通の人はできないのでは?と思います。これだけのことをした原動力は何ですか?
「いえいえ、ノウハウなんて、別に特別なことではないと思います。私がやらなくても、色々な所で色々な人が動いて、始まったと思います。原動力は『楽しいから』に尽きます。どんなヘビーな課題に対しても向かっていけるのは、楽しいからなんです。すごくぜいたくなことをしていると思うんです。新しい出会いがあり、会いたい人と出会えることが楽しくてたまりません。そして、仲間と物事を作り上げる、生み出す喜びは、その後の人生のすごいパワーになっていきますよ。市民活動はノルマになってはだめで、『好きなことは好きと言える』『できない時はできない』と、出入りが自由であることが大事ですね。突っ走りたい人は突っ走るし、のんびりと見ている人は見ていて、意外にのんびりしている人がよく見ていたりすることもあって、面白いですよ」
会田−今後はどのような活動を?
「またハーティ仙台の活動にも本腰を入れたいと思っています。それから、Smile Jamでも取り上げたホームレス支援の活動も力を入れたい。DVから逃げた女性がホームレスになったり、ホームレスの間で女性への暴力が問題になることが少なくないので、連動しているんです。あと、ちょっと活動拠点を郊外に広げてみようと思っています。都市部以外のコミュニティーにも興味があるので、仙台のNPOと、郊外のいろいろな組織をつないだら、もっと快適な生活ができたりするんじゃないかと、勝手に思って、昨年から動き始めています」

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