| NIYONIYO 大地を踏みしめて インタビューを終えて |
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| 三浦さんの『農がっこう』で、仙台長茄子、芹、柚などの収穫を体験させてもらった。『農がっこう』は空の下、周りは平野が広がっていて、視界の広さが、身も心も開放感いっぱいにした。自然の中は気持ちよく、私はまるで行楽気分。参加していた子供たちのはしゃぐ声が、楽しさを助長させていた。 下余田という所は芹の産地らしい。私は芹田を初めて見た。芹は水辺で育てられ、泥濘に膝まで入って採るということを初めて知った。そしてその後の試食会で、芹の本当のおいしさを知る。(それまで私の知る芹とおぼしきものは、フリーズドライだけだった!愕然)収穫とは、農業の一番おいしいところではないか。参加者みんなで採った作物は山のようになり、それを眺めながら、自分の手で苗から育て、収穫するという仕事は、どんなに充実感や達成感があることだろうと思った。 けれど、実際の農業はもっと大変なのでは?と勝手に憶測をする。農業はキビシイというイメージを前から持っていた。なぜかといえば、私の家も専業農家だから。働き詰めの農民は報われているのか?と問う前に、何より仕事がキツそうだ。朝仕事に力仕事。日曜日はない。炎天の日も寒い日も。それに畑にはヘビが……!!(←イメージ)だから私には無理無理。絶対無理。 こんな私は後継者として期待されるはずもなく、当然のように他の仕事を選び、その土地を離れた。農業を継がない人はめずらしくないが、一方で、都会から農業を始めようとわざわざ田舎に移り住む人がいる。私は農家に生まれながら、家業のことをあまりに知らずにきたと今になって思う。農業の魅力って何? その答を探し求めて『農がっこう』に来た。よその農家、若い世代の農業を見たいと思っていた。 三浦さんは、次世代に対する大きな愛情と地域に対する並ならぬ愛着を持った人だ。私はこれまで、自分の地域をこんなにも好きという人に会ったことがなかった。お話を伺いながら、故郷のことを考えていた。あの集落にも三浦さんのような人がいてくれるだろうか。軟弱な農家の娘は相も変わらず、他力本願に故郷の未来を想う。 結局、予想していたような苦労話は出てこなかった。三浦さんは、特に苦労はないという。「植物が好き。生き物が好き。毎日同じことがない。去年と同じ風景がない。季節ごとに渡り鳥がやってきて、見ているだけで楽しい。自然と話をしているようだ」と話してくれた。 三浦さんの言葉に何度も心を引き寄せられた。三浦さんは農業を謳う詩人のようだ。言葉から生き様が見えてくる。 収穫の一部をお土産にいただいた。家に帰ってきちんと味わっていると、丹精込めて働く人の姿が浮かんだ。 摘みたての芹、茄子、柚子、おいしゅうございました。ごちそうさまでした。 |
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| 【奈津野曽良】 グラフィックデザイナー。仙台在住。 趣味:民族音楽鑑賞(主に沖縄の島唄。アンデス音楽、バリ音楽、ケルトも少々。)たまに自分で三線を弾いたりする。腕前は万年初級。ミ(#/__)/ ドテ 好きなもの:南の島と『インディアンの言葉』とマンゴープリン。 |
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三浦さんの「がっこう」で10月中旬、セリ摘みを体験した。長めの長靴の持ち合わせがなかったので、裸足で入ったセリ田は、ひんやりと気持ちよかった。土はとてもきめ細かで、なめらか。裸足で土を踏むなんて、思えばとても久しぶりだ。 三浦さんのお話を聞いていて、最も感じたのが現実感ということ。農業を営み、市民活動への取り組みも、自分の立っている農のフィールドからしっかりと関わっている。そして自分の田畑での「がっこう」。すべてが現場に根ざし、自然だ。 三浦さんは毎日、田畑に入り、土を踏みしめる。その確かな感覚に裏打ちされた三浦さんの言葉は、力強い。しかも、三浦さんは「同じ風景がなく、同じことがなく、自然はいつも変化に富んでいて新鮮だ」という。毎日農作業をしながら、みずみずしさを感じるということに、少なからず驚きを感じた。思えば、日常の中に、きらきら光るものが満ちているということを、ふと思う時がだんだん減ってきているのだろうか… インタビュー記事を最終的にまとめていた頃、虹を見た。久しぶりの虹で、とてもきれいだった。自然は美しく、それが気持ちを豊かにしてくれることを、久しぶりに実感したひとときでもあった。 セリ田での裸足の感覚を、また思い出している。 |
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| 【会田正宣】 学生時代、環境問題を研究するサークル「なちゅれ」を主宰。楽器や空手など四方八方手を出すが、身につかないことばかり。気の多いB型。今は中国語に取り組む。アイルランドのロックグループ「U2」ファン。記者。横浜出身。 |
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