「まちとともに」
特別じゃないクリエイティビティ
矢郷恵子さん
(聞き手 会田正宣 高橋宏之 徳永香子)
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会田 −まちづくりって、子育てしている主婦やお年寄りとか、いろいろな普通の人が智恵や創造性を発揮できる可能性を秘めているのではと、最近思うんです。もちろん、手法が問題ですが。そこで、矢郷さんに話を聞きたいと思いました。まず、まちづくりに関わるようになったきっかけを。
矢郷 「絵や陶芸などアートを勉強したくて、東京の専門学校に出てきましたが、昭和40年代後半ごろの当時、アーティストなど女性の専門職は正当に評価されませんでした。女性の社会的、事業的支援を目指した「レディースボイス」という、今で言うNPOがあり、街頭で女性作家の作品を売るバザーなどを企画していました。私も活動に参加しましたが、女性が社会的に動くと「生意気」ととらえられていた時期に、女性と社会の関わり、コミュニケーションのあり方を訴える活動でした。名前がぴったりだと思いません? |
| 世田谷区梅ケ丘で、女性の地域・ 社会参加の点からまちづくりに関わる。1989年、消費者の立場を商品開発に反映させる「毎日の生活研究所」設立。「梅ケ丘まち づくりハウス」代表。1948年 生まれ。浜松市出身。 | その後、梅ケ丘に越し、娘が生まれました。まだ公共施設に託児室がなく、子どもがいると学習講座などにも参加できない。子育ては自分一人ではできないのに、母親が自分のことを語る場もなかった。だから、子どもが一歳になるころ、世田谷区の広報誌に「青空の下で子育てしながら、仲間づくりをして見ませんか」と呼びかけを載せ、仲間を募りました。自分たちのような子連れの母親がどう、地域や社会に参加していくのか。共通の悩みを持つ女性同士で、暮らしやすい社会について話し合い、国鉄に車両内に授乳室を設けるよう掛け合ったり、子どもの安全のため、合成洗剤の反対運動をしたり」 |
| 梅ケ丘まちづくりハウスのホームページはこちらから | |
| umegaoka@tokyo.interq.or.jp | |
| 毎日の生活研究所 | |
| tel 03−3419−5247 | |
| fax 03−3419−3194 |
会田 −反発は、今とは比べものにならないでしょう?
矢郷 「それぞれの家庭で、「母親は家にいろ」「子育てが大事」なんて夫婦間の問題も出ましたね。もっとも、反発があるといっそう燃えるというのも、市民活動の良い点かな。
私が越してきた梅ケ丘は転入者が多く、また障害児の入る都立光明養護学校があって、障害児のいる家族が引っ越して来たり、自立した暮らしを地域を実現しようと、自分たちの問題を自分たちの手で解決しようという考え方の進んだ地域だったと思います」
会田 −光明養護学校って、伊勢真一監督のドキュメンタリー映画「えんとこ」の遠藤さんが教師をやっていた学校じゃないですか?
矢郷 「そうそう。私、昔、遠藤さんの介助に行っていたこともありますよ」
会田 −世田谷は市民参加のまちづくりの先進地とされますが、中でも羽根木プレーパークに面白さを感じているんですが。
矢郷 「世田谷では昭和50年に区長公選制が行われ、57年にまちづくり条例制定。そのころの54年に誕生したのが、羽根木プレーパークです。プレーパークは、区の土地を使い、運営は地域の父母が行う。行政、市民のパートナーシップ事業の先駆けですね。ふつう公園にはやってはいけない禁止事項があるけど、プレーパークは、「子どもが自由に楽しく遊べる公園が欲しい」という住民の要望によるもので、都市公園法が適用されない初めての公園です。たき火など危ない遊びも可能で、自分の責任にもとづいて自由に遊べる。子どもたちの遊びをリードするプレーリーダーを三人置いていますが、人件費も、一部を自分たちの運営予算でまかなっています。
私も呼びかけ世話人として参加しましたが、もともと、北欧の考え方を取り入れ、子どもが自由に遊べる「冒険遊び場」を市民がつくった経緯がある。地域の市民の力が生んだ公園と言えるでしょうね。」
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徳永 −最初に志したアートとまちづくりはどう関係があるのですか。 矢郷「当時、どう自分を表現し、引いてはどう地域を表現していくのかという点で、まちづくりや市民活動を表現としてとらえるといった議論をしていました。芸術と生活が別々に分かれているけど、本来の芸術は大衆の中から生まれてくるものではないのか。市民活動自体も表現、アートではないかと。 |
羽根木プレーパーク |
アートという話では、世田谷に昭和55年、フィリピンの劇団「ぺタ」と、日本でぺタの受け入れ先となった劇団「黒テント」が来ました。ワークショップに出会った初めての体験です。ペタは、台本などを含めて、フィリピン人が自分たちの演劇を作るため、フィリピンの人々の生活、社会をじっくり見つめ直しました。農民がどんな生活を送り、大地主とどんな関係にあり、どんな話し言葉を使うかなど、人々の様子を細かく観察し、農民、地主それぞれの役割を交代して演じて見る。演劇を通して、それぞれの置かれている立場が、理屈でなく体験として理解され、意識化されるようになる。これがワークショップの始まりと言われています。」
会田 −演劇ワークショップですね。
矢郷 「黒テントは羽根木で地域劇を行いました。私は直接参加しなかったけど、体系的なコミュニケーションツールとして、自分たちもワークショップをしてみたと思いましたね。
そんないきさつがあって、ワークショップを使って、生活に根ざした商品企画、モノづくりのプロセスに消費者の声を反映するのを目指して設立したのが、「毎日の生活研究所」です。大量消費の使い捨て社会でなく、使い手も成長していく商品づくりがしたくて。有限会社にしたのは昨年ですが、ワークショップを事業化した草分けだと思います」
会田 −毎日の生活研究所でのビジネスと、梅ケ丘まちづくりハウスには共通したコンセプトが流れているようですね。
矢郷 「コミュニケーションとコミュニティの両輪ということですね。商品開発でもまちづくりでも、固定概念や固定的な人間関係を一度壊し、関わり合いを作り直すところから、新しい発想が生まれてきます。そのための仕掛けとして、ワークショップは有効です。
毎日の生活研究所で89年、小学校のトイレの使い勝手について子どもたちにインタビューしてまとめたことがあります。「何で、学校のトイレって暗くて、汚くて、行きたくないのか」って、疑問を感じたことない?「鏡が高いところにあって、自分の姿が映らない」など、当たり前で的を得た意見が子どもから返ってきました。
昨年は、梅ケ丘の地域商店街でナイスタウンフェスティバルというイベントを開きました。パン屋でクロワッサンづくりをしたり、酒屋でワイン講習会を開いたり。ただ商品を売る・買うだけで、買わなければ口も聞かない。そんな商売でなく、商店街を交流の場にして、商店と地域の人の関係性を変えることで商売も変わる。実際、商店の人は語りたがっているし、その情報は豊富ですよ。
ふだんの生活から気づく提案は、大手企業や行政の盲点で、それがこちらの強み。まちづくりに関わってきた自分自身の経験、地域のお母さんたちとのつながり、生活シーンから離れていないステージを持っているのが財産ですね。」
会田 −まちづくりの現状の課題などは。
矢郷 「世田谷はパートナーシップ型まちづくりが進んでいるといっても、まだまだ途中。行政の事業にその地域のNPOを使わずに、大手のコンサルタントが担当するケースもあります。インフラ整備が絶対的に必要だった時代は、住民も大半が行政の事業にYESだったけど、ある程度の水準に来た今は、住民も賛否両論で、お上の声だけでは事が進みません。市民、行政がそれぞれの役割を果たす必要があります。
同じ人間が代表を務めているのに、有限会社の毎日の生活研究所と、梅ケ丘まちづくりハウスでは外からの見方が違い、法人ではないまちづくりハウスには仕事が回されないといったことがあります。」
高橋 −法人契約の持つ意味に比べ、NPOの信頼性ということなのでしょうか。
矢郷 「NPO法案が通ってNPOがたくさん生まれましたが、審査が甘く、地力に乏しい団体も法人格を取っており、社会の信頼、認知、評価は「まだ模様眺め」の現状なのでしょうね。市民、NPOも力をつけ、実績を積み重ねていく必要があると思います。」