NIYONIYO 2004年秋号
疾走 〜娘の遺志を乗せて〜
長友久美子さん 聞き手 会田正宣 豊田百合枝
長友久美子さんの写真です 会田−乗馬療法の特徴を教えて下さい。
「アニマルセラピー=動物介在療法には犬や猫などもありますが、馬の場合は乗れることが大きな利点だと思います。馬の体温は人の体温より高く、その温かみが心に安らぎを与えます。さわってみると分かりますよ。馬は人間の歩行と同じ動きをし(擬似歩行)、騎乗すると目線が変わり、車椅子に座っている方の場合、いつも下から見上げることになりますが、馬上だとそれが逆転することになります。馬はまた大きな存在感のある動物ですし、人が力で押さえつけることはできませんから、その馬とコミュニケーションがとれて、自分が思うように動いてくれたときの喜びは大きいと思います。
これまで各地で移動乗馬教室を行なってきましたが、馬は賢く優しい動物で、基本的に意味なく人を蹴ったりすることはありません。また、馬はレーダーのような耳を持ち、全身の神経を背中に集中して乗る人を気遣うことができる動物です。ですから、乗っている人をむやみに落とすことはありません。
 普段私たちは言葉を通してお互いを理解し合うわけですが、言葉がなくても通じ合うものが動物にはあると思います。人と人との関係だけでは難しいことが動物を介在することでスムーズに行くこともあったりしますね」
豊田−馬との間で何か響きあっているのでしょうか?
「馬は危害を加えない人を分かるのだと思います。馬のところでパニックを起こした人でも、馬は大きな動物ということもあり、向かっていくことはできません。そんな大きな馬と気持ちが通じ合って、良い関係になれたときは本人もとってもうれしいでしょうし、自信にもつながるのだと思います」
【長友久美子さん】
福岡県生まれ、東京育ち。一人娘の良子さんは1984年12月、猛スピードで運転していた免許取りたての19才の青年の車にはねられ、9才で亡くなる。88年、財団法人ハーモニィセンター(青少年教育団体)主催のモンゴル騎馬トレッキングに初めて参加する。95年、日本乗馬療法協会(NRT)設立、同協会事務局長、社会福祉法人南高愛隣会(雲仙コロニー)東京事務所所長。長友さんのお話をまとまた著書「のんだくれ モンゴルへ」(セルフラーニング研究所在庫有)。
豊田−乗馬療法に関わるようになったきっかけは?
「モンゴルへ行ったのがきっかけのような気がします。障害のあった娘が9才の時、交通事故に遭って亡くなりましたが、その娘が小学校1年生のとき、1982年、葛飾区に「ポニースクールかつしか」が開設されました。財団法人ハーモニィセンター(青少年教育団体)が葛飾区から運営を委託されています。娘の友達がポニースクールに通っていて、自分も行きたいと言いましたが、私は無理だといい、小学校3年まで待たせました。
娘は普通の学校に通っていたのですが、まだバリアフリーという時代でもなかった。友達と同じようにそろばん、ピアノのお稽古事に行きたいというのでお願いしてみると、いつも上手に断られていました。ですから、私は馬なんて絶対に無理だと思っていましたし、それにきっと断られるだろうと思っていましたから。それでもあまり娘がせがむので、小学校3年のとき連れて行くと、『どうぞ』とあまりにあっさり受け入れてくれたのでびっくりしました。ポニースクールかつしかは障害の有無に関係なく、その子が馬に乗りたい、馬と友達になりたいという意欲があれば誰でもOKでした。障害があるから乗れないのでなく、どうしたら乗れるかは受け入れる側が考えればいいという姿勢でしたので、私も安心してお願いすることが出来ました。
今では葛飾区在住の小学校1年から高校3年までの障害児を対象にしたポニー教室(パートナーアニマル)を毎日行なっておりますが、その当時は乗馬療法という言葉すら知られていない時代で、もちろん私も知りませんでした。娘が障害のある子どもの受け入れの第1号です。私が『乗れるわけがない。無理に決まっている』と思っていたことは見事にはずれ、娘は私が思った以上に上手に乗っていました」
会田 ― 娘さんはどんな障害を持っていたのですか?
「四肢体幹機能障害といって、でもあまり重度ではありませんでしたが、例えばコップで水を飲もうとすると、手に不随意運動が起こって、口のところにコップを持っていくのが難しかったりするのですが・・・。それと足を多少引きずって歩く位」
会田−娘さんが馬に乗れたときどう感じましたか?
「乗れるということ自体びっくりしました。『こんなことが出来るんだって』。障害児を持つ親って、私もそうでしたが、自分の子どもの可能性を信じられない親が少なくないのです。子どもが『これが出来る』という可能性を知るチャンスが少なく、その子の可能性に気付き、信じられるようになってゆく機会がなかったのです。普通子どもって、歩けるようになって言葉が話せるようになってなどと、何歳になったら何が出来るということがありますよね?でも障害児の母親は、同年代の子どもを持つ母親と比べて、『自分の子どもはこれも出来ない。あれも出来ない』と見せ付けられてしまう。出来ないことが多い中で、乗馬療法は馬の力を借り、多くのボランティアの協力を必要としますから、比較的出来る事が早く発見できるのかもしれませんね。大人は乗馬をするとき、頭で考えてしまうことが多いけれども、子どもは自然に体で覚えて出来るようになる。『もしかしたら乗馬は障害のある人に向いているのではないか』という思いがどこか頭の隅に残りましたね。
馬の写真です
その頃、財団法人ハーモニィセンターでは乗馬の上手になった子供たちをもっと広いところで乗せようと、内モンゴル草原での騎馬トレッキングを始めていました。娘は亡くなる前に『モンゴルに行って馬に乗りたい』と話していました。『もう少し上手になったらモンゴルにいけるよ』と言われて楽しみにしていたのですが、1984年に交通事故で亡くなりました。結果的にはポニースクールに通ったのは数ヶ月でした。
 次の年、内モンゴル草原騎馬トレッキングに友達が娘の遺影を持っていってくれました。この事がモンゴルで話題になり、新聞などでも取り上げられ『お母さんもモンゴルに来て下さい』とお誘いを受けました。私は娘がなくなってから何もする気力も無くなり、することも見つかりませんでした。そしてお酒に頼る生活が続き、それで本のタイトルが『のんだくれモンゴルへ』なのです。娘の友達がモンゴルに行った翌年、私も娘の遺影を持って草原ではじめて馬に乗りました。広いところで自由に乗ることが出来て、難しい指示も無く『落ちなければいい』と一言。つまり落馬しなければ怪我もしないということです。その頃の内モンゴル草原騎馬トレッキングは、木の鞍でお尻は痛くなるし、手綱が切れると洗濯ロープで直したりしていました。今では考えられないことですが・・・。
 モンゴルの人にとっては馬に乗ることは日常のことですが、私にとっては始めての事、でも乗れないと置いていかれてしまうので、必死に付いていくうちに、いつの間にか乗れていました。当時何も知らなかったから『そういうものだ』と思っていました。他のことでも同じことが言えると思いますが、私の場合、知らないからやってしまう事が結構あり、結果として出来てしまうことがあります」
モンゴルの草原で乗馬する長友さんたちの写真です
モンゴルの草原で乗馬する長友さん(左)たち
会田−それがモンゴルとの縁ですね?
「何回かモンゴルに行くうち、財団法人ハーモニィセンターのモンゴル騎馬トレッキングの現地受け入れをお手伝いしたりしました。モンゴルは中国内の内モンゴルと外モンゴルのモンゴル人民共和国、ロシア領内のブリヤートモンゴルの3つに分けられますが、91年は外モンゴルも改革開放政策が進められた時で、日本から最初に外モンゴルに行った観光客の一人になりました。ブリヤートモンゴルにも行ってきました。今では毎年、外モンゴルに出かけています。モンゴル病ですね(笑)・・・障害のある方達とも今は行っています。その当時、モンゴルでお世話してくれたソイルトさん(日本に帰化して牧原創一さん)は、財団法人ハーモニィセンターや多くの方々の協力を得て、現地で日本語学校を始めました。今ではモンゴル文化教育大学となり、380名の学生が学んでいます。また多くのモンゴル文化教育大学の留学生が日本で勉強して、日本―モンゴルの文化交流をしています。
日本乗馬療法協会(NRT)の活動の一つの移動乗馬教室でも、そんなモンゴル留学生がお手伝いをしてくれています。モンゴルはあまり雨の降らない国ですが、雨が降った後の草原は緑が鮮やかになり、虹が出たり花が一斉に咲いたりします。その美しい草原を馬や牛や羊がのんびりと草を食んでいます。そんなモンゴルが私は大好きです。そしてモンゴルのたくさんの人たちとの出会いにも感謝しています。ナチンさん(長友さんから会田が紹介いただき、NIYONIYOでインタビューさせていただいた)もその一人です」

会田−日本乗馬療法協会の活動について教えて下さい。
「日本乗馬療法協会(NRT)は1995年に設立され、社会福祉法人南高愛隣会(コロニー雲仙)、財団法人ハーモニィセンターと、次女が障害者の弁護士の長谷川泰造先生の話し合いのもと、動物を介在して人と馬、人と人とが地域でつながっていかれる場所作りを目的とした社会貢献活動として出発しました。
 私は日本乗馬療法協会と名称をつける時、療法という言葉をいれることに反対しました。ドイツでは乗馬療法の従事者は高度な馬術指導者資格と理学療法士の資格を所有し、さらに一年ごとに理学療法士としての試験もあり、またあくまでも医師の診断の結果、その必要性があると認められた患者のみに実施するのが基本です。それと同時に患者の体の状態をよく把握している理学療法士のサポートが必要なのですが、私達はそれとは程遠い活動をしています。でも、長谷川先生は『重い障害のある方が馬の世界でも忘れ去られることがないように』という信念でこの名前にこだわったのですから、私達なりの乗馬療法、感性を大切にして続けていかれればと思っています。
 NRTとして正式に活動を始めて10年、それ以前からノーマライゼイション(ウーマライゼイション)活動として障害のある方にも馬に乗っていただき、この活動を知っていただくために各地で移動乗馬教室を開いてきました。まず知ってもらうには、お話しするより乗ってもらえば分かりますから。初めの頃は東北など遠くにも行きました。北海道にも行きました。北海道では地元の馬を借りました。今ではこれがきっかけで宮城、奈良、茨城等など、いろいろなところで障害のある人も馬に乗っていただけるチャンスが増えましたが、まだまだ知らない方の方が多いし、常設の牧場を持つことができないところもあるので移動乗馬教室は続けています。 移動乗馬教室の写真です
茨城での移動乗馬教室
 NRTでは財団法人ハーモニィセンターの協力を得ながら、社会人ボランティアとしてさまざまな職業の人が楽しみながら関わってくれています。それはとてもよい点だと思います。日本の中でも障害のある方が乗馬を出来る団体や乗馬クラブ、障害者施設も増えて、それぞれの特長を生かしながら活動をしているようです。
 私は今、社会福祉法人南高愛隣会の東京事務所の職員をさせていただいておりますが、田島良昭理事長が『施設解体宣言から福祉改革へ』(ぶどう社)という本を出しました。地域で生活をしよう(同著『ふつうの場所でふつうの暮らしを』)ということで、それには各地域の中で障害のある方を理解する方が増えていくことが必要だと思うのですが、そのための一つの方法として、植物や動物を介して人と人とのつながりが広がればよいと思っています。障害のある方が乗馬をするには、たくさんの人が関わらないと成り立ちませんし、また障害のある方は一人で来ることが出来ない方が多いので、家族が一緒についてくる場合が多く、親も同じ体験をしてもらえます。つまり、家族も含め大勢の方々がつながっていくことができるのです。NRTでは今では馬だけでなく、園芸療法、Gボール(バランスボール)、アート教室など感性を豊かにする様々なことを取り入れて、その専門の方々にご協力をいただいています。感性というのは障害であれ、病気であれ、どんな方でも本来持っているものです。このことを大切にしていきたいと思っています。
残念なことに初代NRT会長であった長谷川先生が2001年の12月に病気で亡くなりましたが、これまで馬を介していろいろな人と知り合っていたことで多くのボランティアや協力者に恵まれ、今日に至っています」

豊田−乗馬療法への関わりは、やはり娘さんのことが一番大きいですか?
「『娘の遺志を継いでいる』と、どこかで思っていますね。私が乗馬療法を続けることで、娘が私の中で生き続けているという思いがある。娘が亡くなって今年で20年目。生きていれば29歳になります。娘のことを覚えている人はもうあまりいないでしょうけれど、私にできることは、馬を介して人と人とがつながっていくこと。それが彼女が私の中で生き続けることだと思っています。娘にとっては、それまでどこにいっても断られてきたから、最後に自分がやりたいことができたということが大きい意味があったと思います。
オボの前での写真です
長谷川泰造氏の遺影を持って
オボ(モンゴル人の信仰対象の石の山)の前で
 馬と関わることを続けていることで、娘が私の中で生き続けていると思う。娘はなぜ9歳で死ななければならなかったのか・・・。一介の主婦だった私が、娘が亡くなったことでこの活動に関わるようになりました。長谷川先生も志半ばで亡くなりました。身近で色々な人の死に接しました。死んでいった人が残していく縁があるんだ、と思って。娘はなぜ死ななければならなかったのか・・・。長谷川先生も58歳で亡くなられて、もっとやりたいことが一杯あったはずなのに・・・。私が初めてモンゴルにトレッキングツアーに行ったとき、参加者の中で一番年長で当時56歳の山岡千賀子さんがいらっしゃいました。今では私は57歳でモンゴルに行き続けていますが、その当時『なんで56歳にもなってモンゴルに』と思って聞いたら、以前参加した息子さんから『満点の星がきれいだった』と聞いて星を見に来たかったそうで。モンゴルの星は本当にきれいです。その方も亡くなりました。死と生は背中合わせで、その人の思いを生きている側から続けていることがその人が生き続けることだと私は思っています」
会田−癒したり、癒されるということにもともと関心があったのでしょうか?
「特に意識はしていませんが、娘が亡くなってモンゴルに行って馬と出会い、馬を介して人と出会い、モンゴルの自然や馬や人の優しさに勇気をもらい立ち直って・・・与えたり与えられたりしながら、気付いたらそうなっていましたね。癒す、癒されるという言葉が氾濫していますが、シンプルに『ホッとする』という感覚ですかね。
 娘が亡くなった後、死なないために強い人間でなくてはいけないとお酒に頼り、大分のんだくれましたが、周りに人がいてそっと見守ってくれていました。生きていると色々な事が起きて、傷ついたり、弱い自分になっても、そういう時があっても良いじゃないかと、人は強くなくてもいいのだとどんな自分でも受け入れられるようになれました。色々な自分がいて、一人の人間ですから。傷ついた経験があって、人が傷ついていても弱音を言っても、『私にもそんな時があった』と人を見ることができると思います。人っていつも同じではないから、ちょっとしたことで傷つけたり傷ついたりしますが、お互い認め合う関係作りが大切だと思います。『いい人でなければいけない』ではなく、いい人でいられない時でも認められるような。私は人に助けられてきました。今もそうです。『人様を癒す』といった大それたことではないです。モンゴルは非日常な空間かもしれないけど、ここで自然に触れてくると、人間も自然の一部であって、生かされているんだなあとつくづく感じます」

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