NIYONIYO 2004年夏号
アイルの輪
(アイルはモンゴル語で、家族や隣人といった意味です)
ボルジギン・イリナさん 聞き手 高橋理麻 you-ko 奈津野曽良 日高和帆 会田正宣
白い服のイリナさんの写真です 会田−歌や踊りを始めたのは?
「七歳で踊りを始め、十二歳から学校の寮に入って専門的な勉強を始めました。父が踊りと歌がとてもうまくて、家でよく歌ってくれて、子どものころから歌を良く聴いていました。母は医者ですが、音痴なので『声がきれいな人と結婚したい』と思って、父に初めて会ったとき、『一曲歌ってください』と言って父が歌ったのを聞いて、『この人で決まり』と結婚を決めました。家では、ご飯を一緒に食べ終わって家族団らんのときに歌を歌ったりしていました」
日高−モンゴルでは歌がうまいことは重要なのですか?
「モンゴル人や歌や踊りがとても好きです。恋心を打ち明けたり、プロポーズする時は互いに草原で歌ったりします。言葉をそのまま歌にして歌う感じ。石でできたオボーという、神社のような建物があって、二人で歌いながら回って、相手を探すという風習もあります」

you-ko−学校に行ったのは、自分で行きたいと思ったの?最初から歌手になりたかった?
「父の妹のおばさんが毎日舞台に立って踊っていたので、きれいだなと思った。私も『ああなりたい』と思っていました。学校に入るときは試験があって、首や足の長さ、身長、体重を検査して、一曲踊りました」

【ボルジギン・イリナさん】
中国内モンゴル自治区出身。オルティン・ド専門。7歳からモンゴルの踊りと歌を勉強し、大学で声楽を専攻。1995年内モンゴル歌コンクール優勝、内モンゴル代表で出場した中国全国のコンクールでも優勝。2000年10月に仙台に来日し、宮城教育大学に留学して幼児教育を専攻。
日高−練習で辛かったことはなかったですか?
「毎日朝五時に起きて、スタイルを良くするために走ったり、踊り、バレーの基礎を練習したり。それに普通に数学とかの勉強もしなければならない。練習は厳しかったです。やめたいと思ったこともありますよ。十四歳のとき、一度家に帰ったこともありました。でも先生は授業では厳しいけど、終わると優しかったです」
会田−オルティン・ドというのは、どんな歌い方ですか?
「オルティン・ドはモンゴル独特の歌い方で、だれもが歌える声ではありません。高い声で、ゆっくりと長く、自由に伸ばして歌います。草原や家族を表現したり。オペラは訓練して声をつくって、裏声も使うけど、オルティン・ドは自分のもともとの声がきれいでないと歌えない。発声練習の仕方も違います。オルティンドはモンゴルの代表的な文化で、海外コンサートにも行きました」
皿を頭に乗せた踊り「アヤガン・ブジイグ」を踊るイリナさんの写真です
「アヤガン・ブジイグ」を踊るイリナさん
会田−最初からオルティン・ド、民族音楽をしようと思った?
「子どものころはあまり、オルティン・ドが好きではなかったけど、私の声はオルティン・ドに合っていた。若い人はロックなどが好きですが、父に『モンゴル人なのだから、自分の民族のものをしなさい』と言われて、オルティン・ドを歌うことにしました。今はすごく自慢。オルティン・ドを勉強して良かったと思います。日本に来てからも、自分の民族文化を紹介できる。子どものときはモンゴル人という意識はそんなに強くなかった。、町の人から『モンゴル人は声が太くて田舎っぽい』と言われることもありましたし。日本に来て、自分の民族が一層好きになった。
 今、内モンゴルでは、町に住んでいる人だと、モンゴル語を話さない人も増えてます。漢民族の学校に入らないと、良い大学に行けなくて、就職も大変になるから」
赤い服のイリナさんの写真です 高橋−日本に来たきっかけは?
「祖父は日本語が話せたし、大学で日本の演歌も聴いて、素敵だなと思いました。学生時代、留学が人気があって、私も若いから行ってみたいと思って。教科書には戦争のことも多く書いてあったので、『怖い』というイメージもあったけど、祖父などからは日本は良い国と聞かされたし。『東京ラブストーリー』も見ましたが、中国では真面目な映画が多かったので、面白かった。その前は『おしん』で、それが日本と思っていたのが、『日本はすごく発展したなあ』とも思いましたね。
 私は小、中、高校一貫のモンゴル人学校に通いました。学校では日本語の授業もあって、日本の学校と交流もしていました。中学の時、日本語で手紙を書いたりしたこともありますよ。魯迅の本を読んだこともあり、仙台と縁がありました」
高橋−日本に実際に来てどうですか?また日本、日本人へのイメージは?
「最初は思う世界とは違いました。来る前に日本語は半年勉強しましたが、言葉も通じない。物価も高く、日本と内モンゴルでは全然物価が違います。日本に来る時、100万円かかりましたが、向こうでは普通のサラリーマンの15年分の給料ですよ。工場で働いたり、皿洗いなどバイトしながら。国ではお嬢様だから、皿洗いなんてしませんでした。内モンゴルでは毎日舞台に立っていたから、ギャップがすごく大きかった。1度、学校からの帰りに道に迷って、すごく怖かったことがありましたが、40歳ぐらいの女性が親切にしてくれて、外国人登録証に書いてある住所を見て、バス代も払ってくれて連れて行ってくれた。ジャガイモや野菜も買ってくれて。荷物まとめて帰ろうかと思っていたころですが、また頑張って見ようと思いました。
日本人は他の民族音楽は好きだけど、あまり日本の音楽は好きではないですね。今の先生は日本の民族文化を大事にする人で、私も民謡を習い始めました。日本の着物を着たり、お茶も経験しました。和太鼓も練習してますよ。日本は安全な国で、理解者も多いし、ボランティア活動をする人も多いですね」

会田−バイト代は何に使っている?
「学費、アパート代と生活費ですね。物価が違うので、仕送りはしてもらってませんし。家賃が2、3万円として、向こうでは2ヶ月分ぐらいの給料です」
アイルの輪チャリティーコンサートの全景写真です
アイルの輪チャリティーコンサート
馬頭琴・バヤラト、ピアノ・稲垣達也
(2004年5月23日、エルパーク仙台)
 you-ko −バイトも大変で、舞台に出ればお金になって、勉強にも専念できるだろうに、その中から子どもにチャリティーとして回していますよね。チャリティーコンサート活動を始めたのはどうして?また、なぜ教科書を贈ろうと思ったのですか?
「チャリティーコンサートは一年に一、二回開きたい。それとは別に、プロとして舞台に立って、生活費に充てるものもあります。内モンゴルにいたとき、周りがみんな芸術家でお金持ちだったから、上等な暮らしをしたいと思っていました。大学一年のとき、ボランティアで草原にコンサートに行きました。私が歌っていたとき、ある遊牧民の女の子がクラスの外で本を読んでいた。私が『どうしたの?』と聞くと、『学校に行きたいけど行けない』と言いました。学費が払えなくて、学校に行けなかったんです。字を読めるのは、クラスの外で聞いて勉強したそうです。
 私は子どものころから大きな苦労をしたことがなかったけど、同じ世界に住んでいるのに、学校に行けない子どもたち、大変な子どもたちが、たくさんいるんだと初めて知りました。人生が少し変わりましたね。医者の母が、貧しい患者のために一生懸命、家族を放り投げて働くこともあって、子どものころは『なぜ』と思ったけど、少し分かったような気がしました。内モンゴルにいたときは、学校に行けない子どものニュースなどは流れなかったので、草原に行って初めて知りました。

内モンゴルの子どもに教科書を贈るイリナさん
(2003年夏)
 子どもたちに何かできればと思っていましたが、内モンゴルでは機会がなかった。日本に来てから、ボランティアで手伝ってくれる人も現れ、自分の民族音楽も紹介できるし、モンゴルの子どもを助けることもできる。昨年戻った時、子どもたちもすごく喜んでくれて。草原の子はテレビもないから、日本のことはあまり良く知らない。子どもたちがいろいろ聞いてきて、日本の紹介もできる」
奈津野−貧しい人のために国は何をしているんですか?
「少しずつやっていますが、全部はできない。中国は大きくて広くて、人口も多く、発展している地域はとても発展しているけど、貧しい地域もあります。内モンゴルでは、草原が砂漠化して遊牧ができにくくなって貧しくなりました」
奈津野−将来の夢は?
「私は内モンゴルの大学を卒業したので、大学院に入るつもりだったけど、幼児教育をしっかり勉強したいと思いました。大学入り直して四年間しっかり勉強したいと思います。内モンゴルでは幼児教育が遅れています。幼稚園に行く機会があって、子どもたちと遊んでいたら、子どもたちは可愛いし、内モンゴルに帰ってから幼児教育ができればと思って。幼児教育はとても大切だと思っています」
奈津野−イリナさんは教育者になりたいんですか?芸術家ですか?
「音楽のおかげで、こうしてチャリティーコンサートを開いてモンゴルの子どもに教科書を送ることもできる。しっかり勉強して内モンゴルに戻ったら、日本とモンゴルの子どもが互いに交流できるようにしたい。日本の民族音楽も紹介したいです。日本の子どもは恵まれているから、モンゴルの子どものことを知ったら、別の世界があることを理解できるとも思います。日本のこと、文化を教えたり、日本とモンゴルの架け橋になりたい」
you-ko −モンゴルに帰ったら、また舞台に立つんですか?
「昨年、チャリティーコンサートの収益を持って戻ったとき、『帰って来ないの』と言われました。国に帰れば、舞台に立って、上のクラスの生活ができるかも知れないけど、教科書を送ることができるのは今だと思う。日本とモンゴルの交流に意味がある。今は有意義で、ステキな生き方ができていると思っています」

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アイルの輪チャリティーコンサート

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内モンゴルの子どもたちに教科書を
アイルの輪チャリティーコンサート
モンゴルの歌姫イリナの歌と踊り


5月23日(日)
エル・パーク仙台6F スタジオホール
   午後1時30分開演(午後1時開場)


 大人 前売2000円   当日2200円
 高校生以下・障害者1000円


主催   アイルの輪チャリティーコンサート実行委員会

中国内モンゴルでは約500円で子ども一人一年間の教科書が
         約3000円で一人の学費がまかなえます


★イリナさんからメッセージ 
 約3年前に来日したとき、私には大きな言葉の壁がありましたが、日本で多くの良き出会いに恵まれました。日本文化の伝統の深さにも触れることができました。何より素晴らしいと思ったのは、日本の子供が伸び伸びと楽しく勉強している姿でした。
 残念ながらモンゴルでは、十分な教育を受けられない子供たちがたくさんいます。草原の砂漠化が進み、三年前の大寒波も影響し、多くの遊牧民が羊や馬を失いました。生活が厳しくなり、子供たちの2割が学費を払えないで学校に行けません。学校に通う子供も、4割が教科書を買えないでいます。
 私に何かできることはないだろうかと考え、チャリティーコンサートを行い、モンゴルの子供たちに教科書を送ってきました。この活動は、私の本業である歌と踊りとともに、今後もライフワークになっていくと思います。また、日本とモンゴルの文化の架け橋になることができれば幸いです。
 「アイル」とは、モンゴル語で「家族」「隣人」を意味します。人を思う心、そして歌は、言葉の壁を越えてきっと通じ合えると信じます。多くのみなさんのご協力をよろしくお願いします。

★出演
【ボルジギン・イリナ】
中国内モンゴル自治区出身。オルティン・ド専門。7歳からモンゴルの踊りと歌を勉強し、大学で声楽を専攻。1995年内モンゴル歌コンクール優勝、内モンゴル代表で出場した中国全国のコンクールでも優勝。現在、宮城教育大学に留学中。

【馬頭琴 アナンディン・バヤラト】
中国内モンゴル自治区出身。16歳で馬頭琴のプロ演奏家になり、内モンゴル歌舞団などに参加。2000年来日、現在、専門学校デジタルアーツ仙台に在籍。稲垣達也さんとのデュオ「SUHO スーホ」を結成。CD発表や演奏活動を行っている。

【ピアノ 稲垣達也】
ピアニスト・作曲家。アルバム『臼碆USUBAE』『One for Wind』をリリース。自在な即興性と"ノリ"を生かして幅広く活動、ジャンルを超えた音楽が多くの人の心の扉を開いている。とっておきの音楽祭SENDAI実行委員長。

★御礼

 
「アイルの輪チャリティ−コンサート」に際しましては、趣旨をご理解いただき、過分なるご厚意を賜りましたこと 心よりお礼申し上げます。おかげさまをもちまして、多くの方々にご来場いただき、イリナさんの透明な歌声や馬頭琴の音色などを十分に楽しんでいただけましたこと 一同深く感謝しております
コンサートでの収益から22万3333円を、内モンゴルの子供達のために送る費用として、イリナさんに託させていただきます。誠にありがとうございました!