NIYONIYO   アイルの輪

インタビュー、チャリティーコンサートを終えて
内モンゴルの子供たちに教科書を〜母の回想から〜

 日常であまり触れることのない世界の伝統音楽は、古さを感じさせない。むしろ新鮮だ。国にそれぞれの旋律があっておもしろい。どのジャンルもそうであるように、民族音楽も聞くなら断然、『生』がいい。間近で聞ける独特の楽器の音色は、迫力が違う。民族衣裳がまたいい。異国情緒たっぷりの舞台が、見知らぬ国へと誘ってくれる。素朴でノスタルジックな調べは心地良く、PUREな気持ちにしてくれる。それは私にとって、まさに癒しの音。世界に数ある民族音楽のうち、ほんの僅かだけ聞いて言うのも何だが…。
 舞台上の歌手や演奏者たちからは、凛とした何かが伝わってくる。民族好きな私の勝手な思い入れかも知れないが、自然と浮かんできた言葉は『民族の誇り』だった。
 民謡は、歴史や風土を背景に、庶民の生活の中から生まれてきたものだと聞いたことがある。いにしえの人は、歌を口ずさみ、踊り、嬉しい時にも悲しい時にも音楽で心を表した。楽器を生活道具のように自分の傍に置いて暮らした。音楽とは、本来そういうものなのかも知れない。そんな暮らしに憧れる。
 イリナさんのチャリティーコンサートを観たのは、今回で二度目になる。心に響いたものは、歌や舞踊だけではなかった。イリナさんの故郷を想う心は、ステージで綺麗な涙の雫となって現れていた。その純粋な姿は、本当に美しくて感動的だった。
 昨年のコンサートで、内モンゴルの遊牧民のことを初めて知った。学校に行きたくても行けない、教科書を持てない子供たちのことが、心の琴線に触れた。私は母の話を思い出していた。
 農家の長女として生まれた母は、幼い頃から妹弟の面倒を見ながら農業の手伝いをし、終わってから勉強をしたのだそうだ。家の手伝いをすることが、家族の中で何より一番大事な自分の役目だったのだ。自然環境に興味があり理科の勉強が大好きだったらしい。しかし、家族総出で働いても食うのがやっとの時代。勉強より働くのを優先しなければならなかったらしい。女性だから、「裁縫は必要だが勉強はいらない」といった田舎ゆえの古い価値観も一部で頑なに残っていたとか。
 後に、祖母は「親として満足に学校に行かせてやれなかった」と、老いて尚、床に伏すまで悔やんでいたという。母は「だから自分は、悔いのないように精一杯のことをしてきたつもりなんだ」と言葉に力を込めた。
 祖母が亡くなってから、15年以上過ぎていた。随分昔の話になってしまったが、今になって聞くから余計痛ましく思えるのだろうか。そのことがいつまでも記憶から消えずにいた。
 そのことと重ね合わせ、『子供たちに教科書を』というイリナさんの志に深く共感した。生活に苦しむ遊牧民の親たちは、今どんな思いでいるのだろう。学校に行けない子供たちは、どんな風に暮らしているのだろうか。どんな思いを背負って大人にならなければならないのだろうか…。祖母が残した思いを、内モンゴルに託すことにした。募金箱に、祖母と母の分も代わりに入れた。
 内モンゴルで貧困に苦しむ遊牧民がいる。戦争で苦しむイラクの人々がいる。日本でも厳しい時代を生きた先人達がいる。最近、日本は少し変だ。それでも、比べてみれば、まだずっと平和で豊かだ。私にはこの時代の日本が与えられた。それなのに足りないものにばかり気を取られ、不平不満を言ったり嘆いたりしている。目の前に当り前のようにあるものが、本当は当り前でないかも知れないというのに…。
 やりたいことに力を尽くせることは幸せだと思う。チャンスは誰にでもあって、その先にたくさんの可能性という道が延びていると信じたい。その道が閉ざされることなく、誰もが歩いて行けるように願っている。私ももう少し頑張ってみよう。心が元気になっていく。やっぱり民族音楽は私の癒しになっている。
【奈津野曽良】
グラフィックデザイナー。仙台在住。
趣味:民族音楽鑑賞(主に沖縄の島唄。アンデス音楽、バリ音楽、ケルトも少々。)たまに自分で三線を弾いたりする。腕前は万年初級。ミ(#/__)/ ドテ
好きなもの:南の島と『インディアンの言葉』とマンゴープリン。

 思い返すと、「イリナさんにインタビューする」だけでなく「コンサートに協力する」ことを考えた段階で、実は参加を迷いました。チャリティーというと美しい響きですが、いざ自分が企画する側になることを考えたら、人からお金を預かる行為ですから、「責任を持って潔白にやれるのか」と、二の足を踏みました。
 準備の際、イリナさんを目の前にして歯に衣着せたいところを、思い切って「本当にチャリティーコンサートのお金は教科書に使われますか」「具体的に、誰にどのように渡すのですか」と懐疑的なことを質問した私は不躾だったはずですが、イリナさんは思いのほか、熱を込めて答えてくれました。わたしのようなイジワル?な質問をする人は、他にもいるのではないかと思いますし、様々な見方をされることでしょう。それでも彼女は、純粋な熱意を燃やし続けて、チャリティーコンサートを続けていると悟りました。しかも、学業の傍ら、音楽と関係ないアルバイトでも生計を立てながら、です。
 イリナさんの素直で熱い心に引っ張られ、励まされて準備をして、コンサート前に行ったインタビューでは、リラックスした良いムードで話が聞けましたし、コンサートでは会場が一つにぎゅっと抱きしめられたような引力を感じました。改めて、国籍やいろんな違いがあろうと、理解し合うことができると私は信じました。そんな気持ちで、多くの人の気持ちが共鳴し合ったイベントだったのではないでしょうか。
 内モンゴルの歌姫は草原で暮らしていたのではなく、仙台のようなビルの並ぶ都市で育ったそうです。小さい頃から音楽の英才教育を受け、それだけでなく学校の勉強もしたそうです。夕食後には父から素晴らしい歌声を浴び、母には暖かな愛でつつまれて、来日の際は「厳寒のロシアにでも行くのではないか」というくらい、分厚い暖かな帽子を贈られた、とのエピソードは印象的でした。
 そんな彼女はある時、砂漠化の進む草原の生活の現状を知ったことを機に、チャリティー活動を始めたそうで、決して自分が苦しい側の生活をしていたわけではないんですね。でも、「みんな同じだと思っていた」のに、苦しい思いをしている人がいると知ってチャリティーを始めたというのです。困っている人のために、手を差し出すことを選択しないこともできたのに、自分だけ恵まれた現状を捨てる選択をしたのは、彼女が育ってきた環境の中で、そう考える力を養ったからでしょう。彼女が受けてきた教育が素晴らしいものであったのでしょう。
 何故、歌姫がチャリティー活動で「教科書」を贈りたいのかということは、今回のインタビューで是非聞きたいことの一つでした。だって、家畜を失って困っている人々の為に、家畜を差し入れする事もできるし、食べ物を贈ってもいいわけです。彼女の生い立ちを聞いていく中で、彼女が周りの人達から受け継いだ物の見方や考え方が、彼女の歌声に乗って、聴衆や教科書を受け取った子供達の中で響いていく、またその周りの人達に波及していく…そんなイメージが頭に浮かびました。教育の螺旋、といったら大袈裟でしょうか。良いものはどんどん伝わっていくようにと願っています。
【you-ko】
 1973年、茨城県生まれ→仙台市在住。社会人5年目。好きなことは「おえかき」をすること。SNOWBOARDは7年め。アジアンな格好もだいすき。将来、Indonesiaで暮らせるといい(でも雪山がないな)。

 イリナさんと初めて会ったのは、亘理町での国際交流祭の舞台終了後だった。その時は会話する時間もほとんど無く、挨拶程度。それでも、彼女の舞台映えのする美しい姿が目に焼きついていた。
 それからしばらくして、打ち合わせとインタビューで再会する事になる。打ち合わせ場所に少し遅れてきた彼女を見て、少々驚いた。それは、舞台の上で見た彼女の顔とは少し違ったからだ。「こんにちは!」と入ってきた彼女は、親しみのあるとびっきりの笑顔で私たちのところにやって来た。その瞬間に、舞台の歌姫である少し遠い存在であったイリナさんが、ぐっと身近な存在に感じられるようになった。
 打ち合わせ・インタビューを通じて会話をするに従って、私は彼女の性格に惹きつけらていく。彼女は、一言で言えばまっすぐな女性だ。自分の信念や気持ちにとても正直に生きていると思う。そして、そう生きるための努力を惜しんでいない。そこが素晴らしい。口先だけなら何とでも言える世の中、実際に自分の思う道を貫けるだけの努力ができる人間はそれほど多くないと思うから。
 笑顔を絶やさずに話してくれる音楽学校での生活は、想像すると相当に厳しいものだ。体の矯正、日々続く発声練習や踊りの稽古。選ばれた人間に施される英才教育。「辛くて、逃げ出した事もあるの。」
笑顔でそう語る彼女が今笑顔でいられるのは、最終的には逃げ出さずに努力を続けたからであろう。 
 私にとって、彼女から聞いた話でもう一つ印象に残っているものがある。それは、日本に来て間もない頃の話だった。
 「自分の帰る家が分からなくなっちゃったんです。それで、近くにいる人に『私の家どこですか?』と聞いた。でも、日本語は分からないし、その人が私を連れてどこかへ連れて行ってくれようとした時、本当に怖かった。この人、私の事どこに連れて行くのかなぁって。でもどうしょうもないからその人について行ったら、私をバスに乗せて、私の家までちゃんと送ってくれたの。それから、ジャガイモもくれた。あー、日本にはいい人いるんだと思った。丁度いろいろ辛くなって、もうモンゴル帰ろうかと思ってた時だったから、それがきっかけでもうちょっと頑張ろうって思えたよ。」
じ〜ん…いい話だ…、と思う前に、オイオイオイオイ!危ないって!!正直そう思った。見ず知らずの人について行って無事に送り返してもらえた。それって、かなりレアな状況ではないかと思う。少なくとも、私が良く分からない海外に行ったとしたら絶対にできない事だ。でも…、と思いなおして彼女の顔を見る。屈託の無い、とびきりの笑顔。一生懸命に話をする姿。そして、相手を信じる強さ。そういう姿を見て、心を動かされる人間はまだ多いのかもしれない。頑張って!協力させて!そう言って手を差し伸べたくなるような人。彼女はそういう人だ。だからこそ、きっとモンゴルと日本の架け橋になれる。私はそう思った。
 今後イリナさんのコンサートを聴く機会があったら、素晴らしい歌と踊りだけじゃなくて、是非合間に入るであろう彼女の話に耳を傾けてください。モンゴルへの気持ち、モンゴルの子供への愛情。まっすぐで、屈託の無い人柄。等身大の彼女の魅力こそが、歌と踊りに素晴らしいエッセンスを加えている。私にはそう思えるから。
【日高和帆】
地球の環境保全に興味を持ち、使命に燃えながら大学で地球科学を専攻。好きなものはラーメン、コーヒー、こたつ、鉱物、海、宇宙、ゲーム、音楽などなど。何にでも興味を示す猪突猛進型人間!?

 遥か遠くまで広がる草原。心地よく、そよぐ風。”モンゴル”と聞いて、こうイメージする。
 中国内モンゴル出身のイリナさんに出会ったのは、昨年の秋になる。その時、初めて耳にした、彼女の力強く通った声が、心に響いた事を記憶している。
 『アイルの輪チャリティーコンサート』の、お手伝いを通して、公私ともにイリナさんと接する内に、人となりが少しずつわかって行った。芯が強く、情熱的で、人から愛される笑顔を持った人。そして何より、自分の歌に対する誇りを持った人。
 幼い頃から、踊りと歌を身につけたイリナさん。専門とする”オルティン・ド”は、モンゴルの自然・風土や家族を歌った伝統的な歌だと言う。「日本の民謡も習っているのよ」と聞いて、はじめは驚いたが、国が違っても、その土地や生活、感情を盛り込んで歌う民謡には、”オルティン・ド”と共通する所があるのかもしれないと納得した。
 来日とともに、今まで経験したことのない生活が待っていた。国では何も不自由のない生活を送っていたのに、生活費のため、アルバイトで皿洗いもする事になった。「なぜ苦しい生活をしなければならないのか?」大きなギャップを感じ、帰国しようと思ったこともあると言う。
 日本の人々との出会いを通して、苦しくても頑張って行こうと決意したイリナさん。でも、彼女を一番支えているのは、教育を受けたくても、受けることができない子供達への思い。「子供達を助けたい」という強い思いなのだろう。「国に帰れば、不自由のない生活ができる。でも、今苦労して子供達の為に活動している事に意義がある。」力強い彼女の信念が、眩しく感じる。
 将来は、今学んでいる幼児教育をいかし、日本の文化を紹介し、「内モンゴルと日本の掛け橋」になりたいと言う。「子供が大好き」なイリナさんの、これからが輝かしくあって欲しいと思う。
 今回、多くの人がイリナさんを支え、多くの力を結び付けコンサートを成功させることができた。イリナさんの歌や踊りが感動を与え、素晴らしいステージだった。協力し、何かを作りあげて行く事の価値を、あらためて感じた。そして何より、人と人との出会いの素晴らしさを感じた。

【高橋理麻】
 ピアノ、声楽などに親しみ、大学では音楽文化学を専攻。人との出会いが楽しみ。ネパールの旅行が楽しかった。秋田県由利郡出身。


 留学生の外国での生活は大変で、特にアジア系の留学生さんたちは、日本の物価が高いため、生活が大変だと思う。イリナさんのことは以前、新聞かテレビでチャリティーコンサートのことを見た覚えがあり、「留学生なのに、自分の国のために頑張っている人がいるんだなあ」と思って、記憶に残っていた。いつかじっくり話を聞いてみたいと思っていた。
 不慣れなため、分からないことが多く、準備に追われていた中で、イリナさんにインタビューした。イリナさんが草原で困っている子どもに出会い、「子どもたちのために、何か自分にできることはないか」と考え、チャリティーコンサートを思い至ったこと。その気持ちをずっと抱きながら、日本に来て、自分自身の生活面でも苦労しながら、ようやく実現に結び付けていったこと。思うことはとても大切で、またそれを行動していくことは、もっと大切だ。あらためて、そのことを直接聞いて、自分もまた頑張れる気がした。最初に、チャリティーコンサートを企画しようと思ったときの、「ささやかでも、自分たちがやることが足しになれば」という原点に戻れたのは、イリナさんが率直に、真剣に話してくれたからだった。イリナさんの純粋な気持ちに、やはり可能な限り応えたいと思った。
 町を歩いていて、ちょくちょく、色々な募金活動に出会う。そのとき、快く十円、二十円、あるいは100円玉なぞを募金箱に入れて、ちょっと嬉しく、「少し良いことができたかな」と満足したり。あるいは、気分が上向かず、聞えなかったふりをして、そそくさと足早に立ち去ったり、後ろめたく思いながら、募金箱に近づかなかったりする。
 そんな自分が、今度はチャリティーを行う側に回ったということが、気恥ずかしくもありつつ、良い機会を与えてもらったと思う。色々な人との出会い、温かい気持ちをいただけたこと、そうしたすべてのことを体験できたことに、とても感謝している。ありがとうございました。
【会田正宣】
学生時代、環境問題を研究するサークル「なちゅれ」を主宰。楽器や空手など四方八方手を出すが、身につかないことばかり。気の多いB型。今は中国語に取り組む。アイルランドのロックグループ「U2」ファン。記者。横浜出身。

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