| NIYONIYO 2003年夏号 | |||||||||
| 寄り添う眼差し | |||||||||
| 伊勢真一さん | 聞き手(会田正宣・佐藤きよみ・高橋理麻・飛田裕子・豊田百合枝・NON・日高和帆・吉柴美奈子) | ||||||||
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| 手紙を書く感じかな…。ラブレターを書いたけど、一人の相手に届くだけでなくて、徐々に他の人にも届くという感じ。映像の良い所って、ワンカットに色々な情報が入っていて、それぞれに自分が切実に考えていることなどを投影して見るんですよね。100人で観ても、1000人で観ても、一人一人が個人的に受けとめてくれて、それで広がっていくと思います。『奈緒ちゃん』は今まで10万人が観てくれて、『ぴぐれっと』はまだ1万人に行っていませんが、『結構すごい数字だな』と思っていて。つくるのに20年かかったから、20年かけて観てもらえれば良いんじゃないかなと思います。自主上映は面倒だけど、面倒なことやったから、友達とつながりができることもあるので、面倒なことをするのはちょっと贅沢なこと(笑)だと思ってもらえると」 ★傍らにいる人 吉柴−私は障害者への先入観を持っていましたけど、映画を観て、みなさんの笑顔が素敵で印象的で、すごく普通だなあと思いました。 伊勢 「『どうして障害者を撮るんですか?』と聞かれることがありますが、僕にとっては、たまたま、傍らに奈緒ちゃんがいて、自分が気になる人を撮っているという感覚ですね。テーマがどうこうという前に、誰だって傍らにいる人は気になると思う。奈緒ちゃんや、ハンデのある人は手がかかる。手がかかることが、つながりを作ることになる。『同情より理解を』なんて言いますけど、言葉にすると、関係性を固定してしまうことがあると思うんですよね。『分かってからじゃないと関われない』とか、『中途半端に関わってはいけない』とか、言葉に振り回されてしまうんじゃないか?と思ったりします。『理解より同情を』という場合もあると思うんです。人が目の前で助けを求めていたら、やっぱり、助けることができた方が良いんじゃないかなあ? 理解しているという人が『私は理解している』というだけで終わったり、『平和について理解しているからこそ、戦争が必要なんだ』という人もいたり。それって、頭でっかちのようにも思うんですよ。『とりあえず平和に暮らしたい。戦争しないで欲しい』って思うのが普通じゃないかなと思うんだけど。奈緒ちゃんにせよ、(『えんとこ』で撮影した)学生時代の友人の遠藤にせよ、自分にとって、身の回りで気になる人だったということです。 奈緒ちゃんにとって、僕は無責任な親戚のおじさんだけど、そんなおじさんもいて良いと思う。他の人が連れて行ってくれない所に連れて行ってくれたり、たまに来て甘い物をくれたり(笑)。僕自身は福祉作業所の活動をしているわけでないので、運動、活動をやっている人から見ると、『もっと福祉の現実を正確に伝えるべきだ』といった不満があるようです。よく言われるのは、『これで世の中を変えられるのか?』と。じゃあ、世の中が変わるって、どういうことなのかなと思いますけど。ドキュメンタリー映画って、『世の中を変える』『社会にメッセージを与える』といったとらえ方をされていますよね。そうした思い込みがある。でも、一歩引いてみると、それって虚構ですよね。問題を鵜呑みにして、分かったつもりになっても、何も変わらないと思います。 映画は最前列の人だけが見るわけでなくて、1000列目の人も見ます。一番後ろの方で観ている人の眼差しを忘れてはいけない。その点を意識できないと、『関心を持っていない』『意識が低い』といったように、選良意識にとらわれてしまうように思います。 話がそれますが、学校で観て欲しいんですよね。学校の良いところって、嫌な授業も受けなければいけない(笑)。でも、学校に行かなかったら、例えば古文や漢文なんて読まないなあと思うけど、大人になってから、ふと思い出して、『また読みたい』なんて思うことがあったりする。だから、『ぴぐれっと』や『奈緒ちゃん』や『えんとこ』を、学校で子どもたちに無理矢理にでも観せようって、いつも言っているんです(笑)」 |
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| 会田−時間をかける、待つことって、大変なことじゃないかなと思います。 伊勢「そんなに大変とは思わなかったけど…。確かに、『こんなことで、いつできるのかな?』とか、金のこととか、心配がないわけじゃなかったけど、奈緒ちゃんを撮り始めたとき、確信があって。人って、確信を持っているとき、大抵のことは乗り越えられると思うんですね。仲間も支えてくれました。自分が誰かのそばにいて生きていると、自分のそばにも誰かがいるようになるんじゃないかなと思います」 ★「映像で飯を食おう」 会田−ドキュメンタリー映画監督になったきっかけは? 伊勢 「僕は大工になりたくて、大工の棟梁のところで1年ぐらい修業していましたが、『お前は大工に向いていない』とクビになったんですね(笑)。仕事中に空を見ていたりしましたしね。棟梁は中卒でしたが、人の5倍働く人で、僕は10分の1ぐらいの力量しかない。『お前が大学まで行って、大工になろうという了見が気に入らない』と思っていたようで、酒を飲みながら、『もう明日から来なくていい』と言い渡されました。 親父はドキュメンタリー映画の編集者として名を残した人ですが、親父が亡くなって葬式の時に、映像関係者が大勢、弔問に来ました。そのとき、僕のことを映像の仕事ができるやつだと錯覚したみたいで、『今、何も仕事入っていないんだろう?手伝いに来てくれ』と頼まれたんです。相手は『映像の仕事がない』と思ったのでしょうが、僕は実際、大工をクビになって失業中で、本当に何の仕事もなかったので、『いいですよ』と二つ返事で。何もしたことなかったのに(笑)。その時は自分自身、何かに夢中にならないと、自分がダメになってしまう気がしていました。編集室で毎日映像を見ながら、夢中になることができて、とても良かった。劇映画はシナリオが重要だけど、ドキュメンタリーは撮影してきた映像の中から見えてくる、上がってきた物をどう再構成するかが大きなウエイトを占めています。夢中でつくって、プロダクションもまず満足したようでした。 ただ、僕もすぐその気になってしまう性格で、そのうち、生意気で鼻持ちならなくなって(笑)。編集室にかぎをかけて、監督が来ても、『おれの仕事を邪魔するな』とかぎを開けなかったりしたこともありました(笑)。それで、『そんなに生意気だったら、監督をやらせてみろ』となって。映画って、助手、助監督を経て監督になるわけだけど、いきなり監督になって、一本つくりました。まあ、出来は自分なりに良かったと思うのですが、それ以降、一年ぐらい仕事が来なくなって(笑)。その間、仕方ないので土方のアルバイトをしました。でも、穴を掘るにしても、僕がやっと一つ掘るうちに、プロのとび職は3つぐらい掘っている。 |
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| PR映画も嫌いではなくて、どんな仕事でも好きな所を見つければ、何でもできると思うんです。『何でもやる』と決めた時、体の合わせ方が変わったというのかな…。今でも、頼まれ仕事はできるだけ断らないようにしています。頼まれた時点で選別していると、自分の先入観で関係を切ってしまうことになります。とりあえず引き受けてみる。すると、新しい関係が生まれたりすることがあるし」 ★そばにいる 飛田−カメラを向けることで、撮影される人も意識すると思いますが。 伊勢 「面白いもので、カメラがあることで緊張感は持つでしょうが、一方、スポットライトを浴びるような気持ちにもなるとも思います。人間って不思議なもので(笑)。相手との関係をつくっていくことは大切です。距離感って…、近いから撮れる、肉親だから撮れるというわけではないですよね。近過ぎると見えないこともあって、夫婦や家族って、近過ぎてピントが合わず、見えにくい存在だったりする。近い中にも距離はあるし。色々な距離を持った人がいることが、誰にとっても必要だと思います。子どもも、家庭だけで抱えるのでなくね。一定の決まった距離の人だけだと、不自由じゃないかなと思うんです。 映画を撮っていること、カメラが向けられていることが相手にも影響します。姉、奈緒ちゃんのお母さんが最初に試写を見たとき、『うちって、すごく幸せな家族のように思えた』と言ってくれました。その話を上映会のトークで話したりすると、『うちの家庭にも撮影に来てください』なんて言われることがあって。それはさすがに無理だけど(笑)。当事者同士だと、お互い傷つけ合ったり、否定的に思ってしまうことがあるかも知れないけど、ちょっと脇から見ると、『案外捨てたものじゃない』って見えたりするものだと思います。 だから、カメラ、マイクに限らず、そばで見守っている人がいるということは大きいんじゃないかな…。それが、人によっては友達だったり、可愛がっている猫だったり、あるいは信仰だったりするかも知れないけど。脇で誰かが見ていると、やる気が出たり。また、誰かのそばにいるだけで、何もしなくても、その人にとって励ましになることもあると思うんですね。 『ぴぐれっと』では、もう亡くなって、映画の中にしかいない人が四人います。そのうち二人は施設の利用者でした。でも、彼らはずっと映画の中に生き続けていて、映画の中から僕たちを見ているかも知れない。劇映画だったら、役者はある映画の役が終わったら、次の映画で別の役を演じるけど、奈緒ちゃんは、撮影が終わっても、奈緒ちゃんの役を生き続けて行く。お母さんはお母さんで、映画の中でぴぐれっとのことについて話し合っていたように、今も話しを続けているかも知れない。それがドキュメンタリー映画の面白さでもある。映画は見終わったら終わりでなくて、そこから映画が始まって、誰かの人生の中に寄り添って行く。そんな映画として、みなさんに育んでもらえると嬉しいですね」 ※この記事は5月18日、仙台市で開かれた映画「ぴぐれっと」上映会の際に取材させていただきました。実行委員会(会田まつ子委員長)のみなさま、ありがとうございました! |
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