NIYONIYO
海藻アカモクの林に託す
佐々木久雄さん (聞き手 豊田百合枝・日高和帆・百崎満晴・NON・会田正宣)
佐々木久雄さんの写真です 豊田−最初に水とのつきあいの始まり、きっかけを教えて下さい。
「生まれが(宮城県の)気仙沼で、小さい頃から海を見て育ってきました。10歳とすると、40何年前ですかね。昭和30年代のその頃には、もう気仙沼湾の奥では赤潮が出ていました。海がチョコレート色だったのを覚えてますね。コーヒーみたいな色。『これはなんだろう?』と思っていたのが赤潮でした。だんだん海が汚くなって、気仙沼湾内ではカキが養殖できなくなったと、新聞に出ていた。『あ、きれいにしたいな』と思いました」

百崎−子どもの時にですか?
「小学校4、5年だと思いますが、『きれいにしないとだめだな』と思いました。当時、気仙沼に水産試験場があって、『海が汚いんだけど、何だろう?』って聞きに行ったんです。試験場の場長さんが『赤潮だ』と教えてくれた。赤潮を顕微鏡で見せてもらって。今思えば、動いていたので鞭毛藻類だったかなあ。
 水産高校に入りたかったのですが、先生に『専門の勉強は後からでも出来る』と言われ、普通の高校に入り、それから北大の水産学部に行き、水産植物学を専攻しました。防波堤を作ると、どれくらいの水深に、どの藻から付き始めるか、10年、20年経ったらどうなるかなど、水産植物の植生を調べていました。「磯やけ」なんて言葉を聞いたことがあるかと思いますが、原因の一つは、一種の海藻が自分だけ繁殖しようと、石灰分を含んだ体で小さいのが生えて、その上に大きいのが生えるとぼろっと体をはずして流してしまうという、すごい防御方法を持っています。何年か経つと、生態系の劣化が起きる可能性がある。当時はあまり意識せずに研究していましたが」

日高−その研究は何かの役に立ちましたか?たとえば環境問題とか。自分も理学部の学生なので、自分の研究が役に立てばいいのに、閉じられた研究になりがちだから、役に立つようにやっていたのか、気になるのです。
【ささき・ひさおさん】
 1949年、宮城県気仙沼市生まれ。北海道大学水産学部を卒業後、1972年、宮城県庁入り。公害規制課水質係(現環境対策課水環境班)、気仙沼保健所などを経て、県保健環境センターで水質研究に従事。赤潮対策など松島の水質改善に携わる。その後、県庁に在籍しながら、東北大学工学部で海藻アカモクの海水浄化作用を研究。2000年、50歳で工学博士号を取得。現在、県環境対策課水環境班長として、アカモクの藻場を活用した松島湾の浄化施策を提案、推進中。JICA(国際協力事業団)の派遣メンバーとして、中国吉林省の排水処理施設改善にも尽力している。日本水環境学会幹事。(趣味:美酒探訪、特技:潜水士免許、座右の銘:「前へ!」)
「防波堤の内と外では、同じ海藻でも違うんです。外側の海藻は小さく、内側は大きい。どういうことかなと考えていて、当時は分からなかったけれど、内側のほうが栄養分が多い。で、固体が大きくなっていくんだろう、というような感覚を持ってました。すぐに役に立ったかっていうと、ずーっと役には立ちませんでしたけど(笑)」
豊田−当時、水産研究の場に環境という概念はあったんですか。
「なかったです。ただ、青函トンネルが掘られていた時期で、水に影響して、函館のコンブが相当影響を受けた事件があって、研究室に漁協の人たちが尋ねてきたのは覚えてます。海藻と環境を結びつけて考えたことはなかったですね。環境の仕事をしたいと思ったのは、やっぱり公害問題でしょうか。当時一番気になったのは、水俣病。学生運動で社会のことを勉強していて、あれはショックでした。『水俣病をなんとかせんといかん』という感じで、そっちのほうから環境のほうに入った。まさか海藻と環境が、っていうのは…当時は考えてなかったです」
豊田−宮城県庁に入って最初の配属はどこ?
「昭和47年7月、今の職場(環境対策課)、当時の公害規制課の水質係に入りました。最初の仕事は工場排水の規制。昭和45年12月に水質汚濁防止法ができたのですが、まだ誰も、排水処理施設も何も準備していない中で基準ができて、規制しなさいという職務でした。つらかったですね。『俺の業界をつぶすのか』とね。水産加工が盛んな塩釜、石巻、気仙沼でスケトウダラがすごく獲れて、すり身にする時に出るカスを、海や川に流したりして、質を悪化させていた。油分やいろんな有機物もいっぱい流れた。それ自体は毒ではないけど、それを分解するために酸素がなくなるので、魚が住めなくなるし、腐敗してしまう。
 人生経験の豊富な水産加工場のおじさんたちと、学校出たてで、水処理のことなんて当時は何も分からない自分が話し合っても、かなう訳なかったですよね。だから規則、法律だけが頼りで、ぎゃんぎゃん嫌なことしたんじゃないでしょうか、きっと。少し余裕のない時代だった気がします。5年、その職場にいて、それから気仙沼。赤潮が一番ひどい現場で公害規制をやりました」
豊田−やっと気仙沼の赤潮に戻ってきた?
「戻ったというのか、そこでやっと『水産の経験が生きたかな』と思いました。昭和51年か52年に、養殖カキが真っ赤になる事件がありました。「血ガキ」と呼ばれ、ある種のプランクトンを食べると、プランクトンの色素が消化管に残っていて、置いておくと真っ赤な水が出てきて、血を流しているように見えるんです。カキが白いのは、脂肪分で囲まれているからで、見た目は変わらないのだけど、置いておくと、赤い色素が流れてくる。センセーショナルでしょ。漁師にとって深刻な打撃でした。毎朝、家から海に自転車で行って水を汲んでから保健所に出勤し、毎日毎日プランクトンを見た。それで、プロロセントラム・ミカンスという、ものすごく大きいプランクトンがたくさんいて、コーヒー色=赤潮、そして血ガキの原因と分かった。
海の写真です
赤潮は一種類のプランクトンしかいないという状態で、種の多様性からいえば、まさに独占で、かなりの環境破壊、環境阻害の現象の一つです。一種類だけの繁栄は生態系上あり得ない。健全な生態系ではないんです。
 対策として、当時一番大きな汚濁源だった水産加工場に、排水処理施設をつけるよう一生懸命努力しました。気仙沼での一番のショックは、夜に水を流す水産加工場があって、夜に検査に行きました。その時、子供が見張りしていたんですよね。社長の子供かどうか分からないけれど、川のそばで見張っていて、私らの車が行くと『父ちゃん、保健所来たぞ』って。ものすごくショックだった。まあ、職務ですから、淡々と遂行しますが、なんか割り切れなくてね。やらせていたのか、自主的にやったのか…。排水処理施設をつけるのは、工場にとってかなり負担だったはずですよね。今思えば、夜流すぐらい見逃したほうがよかったのかな、とか。でも、数年後、思い切って公害防止施設をつけた工場は、次に来たオイルショックなどにも耐えていました。あの時ぐずぐず言って、なんとか誤魔化そうとしていた所はつぶれてしまいました。そんな現実を見ると、『ああ、ちゃんと頑張った方が良かったのに』と思いました」

豊田−松島でのアカモク再生活動について。
「気仙沼から県庁に戻り、次に保健環境センター(仙台市)に11年いて、水の環境汚染について研究しました。松島湾の『リフレッシュ計画』というのが平成2年に事業化されました。当時、松島の海も赤潮は出るわ、ノリの芽は落ちてしまうし、カキは死んでしまう、という状況がずっと続いていて、松島湾、桂島から奥では何もできなくなってしまった。一方、水産庁など国の方も環境関係のお金がどんどん付いていて、宮城県は『こんな計画を作っているから、お金頂戴』という"頂戴行政"を盛んにやっていたんですね。マスタープランができたのが平成5年。平成17年まで15年間の計画ですが、計画段階で1000億円ですよ。
 自分は『藻場をつくろう』と環境サイドの提案をしましたが、環境サイドは本当に規模が小さいですから…。メインは『下水道を作ろう』『浚渫や砂をまいてきれいにしよう』で、それが1000億円のうち約800億円。要は土木予算で、今も変わらないですね」
豊田−藻場を提案したのはなぜ?
「アカモクの藻場は、赤潮の原因になる窒素やリンなどの栄養分を吸収してくれる。赤潮のプランクトンが栄養分を食べて育つ前に、増殖を防げる。他にも藻場の効能は色々あって、例えば水の流れを緩やかにして、小さな浮遊物質を落としてくれる。直射日光から守ってくれるので、水温が安定する。魚が卵を産んだり、えさをとったり、生活の場にもなります。藻場を作るのは非常に環境のために良いので、マスタープランに入れてもらったけど、実際には全く計画は動いていなかったです。水産業は有用、お金が儲からなければ、一切手を付けないですからね」
アカモクの写真です
アカモク
豊田−アカモクは邪魔にされていたんですか?
「完全に邪魔にされていました。ノリやカキを養殖するのに、海面を独占していた悪者だったんです。アカモクやアマモは、みんな除去していた。ノリの品質を上げるために、ほかの"雑草"は殺していた。雑草という感覚です。漁船が通るのにも邪魔になったし。」
豊田−その邪魔物が、実は大切なんじゃないかということに気づいたきっかけは?
「平成2年の計画時に『なぜ海が汚くなったか』を考えていました。陸上から汚いものが流れてきたこともあるけど、地元の漁師の皆さんから『海藻が全くなくなった』という話をよく聞きました。水質が悪化して海藻がなくなったのか、海藻がなくなったから海が汚くなったのか、ということをずっと考えてました」
日高−結果的には、海藻を取り除いていたから、海が汚くなったんですか。
「現象としては、それだけじゃないとは思うんですけどね。海藻など他の物を邪魔にする考え方がダメだと思ったんです。食べられない貝とか、商品価値の低いようなものを邪魔にする。そういう発想は絶対しっぺ返しがくると思いましたね。
 今の状況としては、今年度初めて、県の研究予算がつきました。まだ事業自体が実験としての位置づけで、まず『アカモクはこんなに海をきれいにしてくれますよ』ということを知ってもらうため、データで説明することから始めようと。松島のある区域を区切って、どのくらいのアカモクでどのくらいきれいになるかを定量化する実験をしています」
豊田−なぜ、定量化しなくちゃいけないんですか。
「アカモクを邪魔にしていた人たちも、藻があれば海がきれいになるってことは、なんとなく分かっていたんです。だけど、どれくらい効果があるか分からないから、説得力がない。100u植えれば、これぐらいきれいになると分かれば、もっと協力してくれるんじゃないかと思って実験を始めたんです。中にアカモクを入れ、海水を入れ、一日置いたらどうなるか。アンモニアなど窒素は、通常5PPMあったのが一晩で2PPMぐらいになる。非常に吸収速度が速いんですよ」
日高−数値化して弾き出せば、これだけ残せば大丈夫、となりますよね。
「はい。逆に『これだけ作ってくれれば、これだけきれいになるよ』と説得できる。でも、皆さんが反対しているのは、船の航路の邪魔になるとか、養殖施設に絡まるとか。1カ月に5mぐらいに成長しますから。ものすごく大きいんです」

会田−今でも反対は強いですか。
「漁業協同組合や水産事務所など、組織としては強いですね。カキは宮城県で70億円産業、ノリは45億円産業と言われ、70億円を150億円、40億円を100億円にするのが仕事だ、というのが主流の考え方です。だから、アカモクなどの"よそ者"のことは考えられない。『そんなの売れるわけないよ』と。でも、隣りの岩手県や秋田県では昔から売っている。秋田では「ギバサ」と言って、いっぱい売ってるんです」
日高−メカブみたいにおいしくなれば、みんな買うと思いますけどね。
「おいしいんだから(笑)。最近気に入っているのは、「シー・バジル」とネーミングしていますが、オリーブオイルで炒めて、鷹の爪を入れた海のバジル・スパゲッティ。おいしいですよー。秋田ではギバサをご飯にかけて、しょうゆで食べる。新潟のナガモはそばに入れたりして、佐渡の名物として売ってます。
 メカブは実はギバサの代用品だったんです。昭和50年代前半に、製紙工場の進出などで磯が荒らされ、ギバサが全く取れなくなった。それで秋田の人たちは『ああいうネバネバしたやつないかね』と探して、三陸のメカブにぶつかった。すごいのは、ちょうど秋田でギバサがなくなった頃に、ハタハタが獲れなくなったんです。そっちのほうが、もっと深刻で、今、秋田の水産試験場はギバサを育てようと一生懸命です」
日高−汚い海の栄養をとって成長するという事は、汚い成分も吸収しているのではという悪いイメージが。
「この前もセミナーで、奥さんから同じことを言われました。汚いものを吸収するという話をどう捉えるか。海藻は葉から必要な栄養素だけをとって、不必要なものは蓄積しない。アカモクは一年藻で、蓄積性は非常に少ない。食物連鎖だと、海藻は一番最初だから、濃縮されていないし。窒素やリンは分解されて、窒素ガスや二酸化炭素になる。発生源は私らの有機物ですから、汚いと言えば汚い。まあ、うんこを汚いと思うかどうか。農家は肥料と思う。肥料をかけた野菜を汚いと思うかどうか、それと一緒だと思うのですが」
豊田−地場産品としての可能性はどうですか?
「アカモクを海に放っておけば、いずれ腐って、吸収した窒素やリンが海に戻ってしまう。1年藻で、受精卵を出した後は枯れてしまうんです。それなら、海から引き出して、たまたま食べたらおいしいので、『是非どうぞ』とオススメするんですが。岩手では約100グラム100円ぐらいで売ってます。松島産はまだ試験中で、売ってません」
松島の水質調査の写真です 豊田−今、松島には藻場はあるんですか。
「ありますよ。アカモクの藻場、アマモの藻場。棲み分けは泥場がアマモ、岩場はアカモク。でも、もともとアカモクがあった、海岸沿いのこのへん(地図を示して)は全くなくなってしまいました。復活して欲しいですね。養殖棚の漁業権のあるところですけどね」
豊田−漁業権を持つ人の同意がなければ難しい?
「はい。だから、今は『何もやってないところに自然と生えてくるような場所で実験させてくれ』ということで進めています。やはり面と向かって、『事業としてやってもらっては困る』と言う人もいます。『今ある藻場を利用するのは賛成するけど、新たに作るのはまだ早いのでは』とも漁協に言われました。漁協との交渉は約3年前から始めていて、当初は全く『何を馬鹿なこと言ってるんだ』という感じでしたが、だんだん軟化してきましたね」
豊田−海を外から見る人、職業の場として使っている人、観光で来る人、町に住んでいる人、利害関係がみんな違う中でどうやって調和をとるんですか。
「私らもこれからやっていかないといけないと思うんだけど、やっぱり単独のものがいい、というのは異常ですよね。カキだけで良い、ノリだけで良いというのはあり得ない。それはやっぱりおかしい。海をいつの間にか自分の畑のようにしてしまって。森と一緒で、私らが生態系の中からキノコを獲るように、邪魔にならない程度を頂く、というふうにしていかないと継続しないだろうと思うんですよ。
 日本の、特に三陸の海は、あまりにも今まで寛容で分からなかったんでしょうけど。諫早や瀬戸内海などは、時々海に怒られてきました。宮城県の志津川湾も、銀ザケの養殖をした時にひどかった。平成2年ぐらいかな、2万人しかいない町で、銀ザケにエサを与え続けて、志津川湾に38万人が住んでいたのと同じぐらいの栄養分が流れていた。下水処理施設をいくらつくっても、もう対応しきれないレベルでしょう」
百崎−「海の畑」という考え方は、カキならカキだけというモノカルチャー的な発想から、環境を考えると、もっと多様性のある畑にした方が良いということですか?
「カキの養殖棚を作ったら、それだけが畑で、周りの海は林か何かのように自然のまま残すと言った方がいいのかな…。ノリやワカメの養殖家は、やはり雑草を嫌いすぎます。魚が獲れなくなると、水質汚染のせいだと言う。昭和47、8年ごろの、ものすごい汚染時期は『大変ですね。上からの汚濁源をカットしましょう』という話に同意できたけど、今は違います。『海の中で、もう少し努力したらいいんじゃないの?』って思う。これ言うと、またけんかになっちゃうんで(笑)。でも、『ノリだけがあなた方の世界じゃないでしょう。海の多様性のおかげで、あなたたちも私たちも暮らしてきたんでしょう』と思うんです。
 ここ2、3年、海が少しずつ良くなっています。ハモが揚がってきた、シャコが揚がってきた、ハゼが結構釣れている。一時はハゼは一尾もいなかった。原因は海藻がなかったからです。卵を産む所もない、稚魚が育つ所もない。それが少しずつ戻ってきた。『もうちょっと頑張ろうぜ、もっときれいにできるよ』というのが今の状態だと」
会田−環境と経済の調和については?
「アカモク約1平方キロで、約5万人分の下水処理場の窒素の除去率に匹敵します。塩釜市より少し小さい町の下水処理場を作ることを考えれば、お金かかりますよね。1平方キロの藻場を作るのと、どっちがお金かかるかを比べると、ダントツに安いはず。ただ、単純には決められない。下水処理施設は、ものすごく汚いものをある程度まで浄化する。藻場は、ある程度まできれいな物をよりきれいにするという働きで、違いがあるので」
会田−仕事を離れて、個人の活動としても何かしているんですか?
「土日は松島に通ってますね。ここ一、二年、一番力を入れているのは、漁師の方に協力いただいて、どうしたらアカモクの受精卵を効率よく、簡単に取れるかを試しています。その方はカキを養殖していて、そこに行って水槽を借り、アカモク養殖の研究をしているんです。なかなか難しくて、今年もうまく取れなかった。大きな桶の中にカキ殻などを入れて、そこにオスとメスを入れたんですが。まだまだやることは多いですが、そのように施設を貸してくれる方がいる。『そういう事は絶対に必要なんだ』と、強力に協力してくれる人が出てきているのは確かで、うれしいです。
語る佐々木久雄さんの写真です
 在籍していた東北大の研究室も別な面で協力してくれて、アカモクのネバネバが他の生物を抑制するか、例えば赤潮を出さなくなるか、といった研究をしています。赤潮プランクトンは瀬戸内海の方で魚を殺している。プランクトンと一緒にアカモクを飼ったり、アカモクを飼った培養液でプランクトンを培養すると、プランクトンが増殖できないんです。すると、抑制作用があるんじゃないか。瀬戸内海でも十分活用できるのではと思います」
豊田−応援してくれる人の広がりが出ているんですね。
「他には、岩手アカモク生産協同組合といって、アカモク屋さんがいます。とても苦労して来た人たちですが、もし我々がやるんであれば、『是非応援したい。ノウハウを全部公開します。"三陸アカモク"で一緒にやっていこう』と言ってくれて。岩手の方との出会いは、たまたま私がスポーツ新聞にアカモクの話題で出てしまったことで。飲み屋で知り合った記者が、釣り情報でアカモクの記事を書いたんです。私、飲み屋にもアカモクを持っていって食べてもらって、「これいいでしょう?」と宣伝していたんです。そしたら、東北版で大きな記事にしてくれて。岩手の人がそれを見て、『宮城では県職員がやっているの?』と、びっくりして連絡くれたんです。また松島町は、プロジェクトチーム組んで応援してくれています」
会田−県職員として仕事している面と、個人の関わりと、自分の中で区別とか、どうですか
「うーん、どこまでやったら県職員なのかは、いつも悩みます。例えば、岩手アカモク生産協同組合には7、8回行っていますが、出張旅費をもらって行ったことはない。土日つぶして行っている。今は県職員の身分でないほうが良いだろうと思って。私もよく分からないんですけどね。県職員の仕事だからというのではないし、仕事じゃないからなんだな…。生態系を保持しながらの水質保全、これは絶対にやらなくちゃいけないと思ったのです。環境に優しい漁業があったって良いじゃないかと」
会田−"役人"って、『失敗しないように』といったイメージを持つのだけど、佐々木さんは全然違って、個人としても活動する。そのへんの仕事観を聞きたいです。
「困ったなあ。私の仕事は、水質汚濁防止法をちゃんと守れば、それだけで良いかも知れないけど、法律には限界があり、水質を良くするには法律以上の何かをしないといけない。それが役所内の行動に収まりきらない。勝手なことをしているんじゃないですかね」

日高−しかも、仕事しながら大学院に行って博士号を取りましたよね。時間やお金も大変だと思いますが。
「水質の研究は好きです。保健環境センターに11年いて、自分なりにけじめをつけて、まとめて形にしたかった。水の透明度を図る方法についての論文など実用的なものを書きました。仕事から生まれてきた、身近なテーマです。『川は三尺流れれば…』といった言葉がありますが、自然界のことは見逃されてきたことが多くて、基礎学問が今後の環境行政に絶対に必要になる。以前、愚痴をこぼしていると、文化財保護の担当者に『環境は人の暮らし守るんだろう。こっちは昔の物掘って、あえて言えばロマンがあるということ。でも、それで良いじゃないか』と言われて楽になったことがあります」
NON−他にプライベートでは、どんなことを?
「中国東北部の吉林省で、JICAが行っている排水処理施設の改善事業に参加しています。あちらはトウモロコシをつくっていて、環境保護が必要で。やはり"水商売"ですね(笑)」
会田−もともと県職員になろうと思ったんですか。
「どうだったですかね。県職員も悪くないと思ったのは確かですが、役所しか思いつかなかったのかな。とにかく、海の水質を良くしたかった。水のことは一生懸命考えてきました。水質とは何か。海でバケツで汲んできた水を、一生懸命分析するのが、私達が言う水質なんですよね。中に大きなアカモクなどがあると、取り除いて測る。法律で『2ミリ以上の固形物は取り除いて測りなさい』と決まっている。でも、本当は違うはずで、水の下には泥があり、その中には貝もカニも、ゴカイもいて。水中には海藻がいて、カキもいて。上には空気もある。人もいる。全部を考えないと、環境なんて絶対考えられない」
百崎−確かに、検査など科学的研究が持つ、ある種の特殊性や無意味性ってありますよね。やっていけばやっていくほど、それが何のためになるんだろうという…。
「仲間内でよく言うのは、PPM行政の弊害。一般の人に分かってもらうため、基準をPPMで表現して、それを守れば良い、守らないと悪いなどとやっていますが、実際はそれしか考えなくなっている。逆に言うと、そこまで汚していいんだと。そういうふうになってしまったのは、行政屋の悪いところだろうと思います。全体のことを考えていないですよね。だから、全体を結びつけるような仕事が、これから絶対に必要になってくる。一方で、難しいこと考えなくても、見て『これはきれい』と感じれば、『それでいいんだ』という人もいるし。『きれい』『きれいな水』の定義も分からないですけどね」
松島湾内の写真です 豊田−佐々木さんにとっての「きれい」の定義は?
「言わなきゃよかったな(笑)。うーん、海水浴場でどこが一番きれい?って聞かれたら、大腸菌とか細菌汚染の少ない所を紹介しますね。景色も含めてどこが一番きれいな海?って聞かれたら、リアス式海岸の牡鹿半島を言うかな。でも、俺にとって一番きれいな海とはなんぞや、と聞かれたら…見た目にきれい、海藻も魚もバランスが取れて、健全な生態系を持っている。また南極とかじゃなくて、みんなが気軽に行きたくなるような海かな」
豊田−水や海はどのような存在?
「人間も含めた全生態系の一番重要な部分というのか。遠い海ではなくて、この沿岸地域の海は、自分が思っている環境保全を一番表現できるというか。海だけでなく、伊豆沼のような湿地帯など、『水辺』が最も、人間が生態系の一員であることを認識できる接点なんじゃないかと思うんです」
豊田−今後の展開、どんなポイントを売りにするんですか?
「『健康』って言わせたいのかなあ(笑)。でも、アカモクがすごく健康に良いという研究をしている先生がいらして、例えば、ヘルペスウイルスとか腎障害や肝障害に、本当に効くとか。そういう人達はそういう売り方をするかもしれませんが、私は違うふうに考えてます。おいしいし、『少しずつ浸透してくれればなあ』と思っているんですよ。
 夢は、アカモクの海ができることによって、海のバランスが昔に戻るんじゃないか。そうなれば、今問題のSRSV(小型球菌ウイルス=カキの食中毒の原因の一つとされる)なども抑制されてくるのでは。アカモクの林の中でカキを一週間ぐらい蓄養すれば、安全なカキが生産できたり、海全体の循環の中でバランスを取り戻すとか。そんな立場にアカモクを置きたいんです。『アカモクを邪魔にするな』と」

インタビューを終えてを読む

トップに戻る

感想コーナーへ行く
メールで感想をお寄せいただいた方に、オリジナルデスクトップ壁紙プレゼント!

【関連データベース】
神戸大学内海域機能教育研究センター
    瀬戸内海の環境、海洋生物の教育、研究機関です。海藻標本のデータベースも!

北の海藻図鑑
    主に北海道の海藻の標本を紹介しているサイトです。

日本海藻協会
    海藻に関するシンポジウム、講習会などを開催。高知大海洋教育研究センターが事務局を務める協会です