NIYONIYO
触る 触れる 時をかける
光島貴之さん (聞き手 粟野ユミト・会田正宣)
みつしま たかゆきさんの写真です

【みつしま・たかゆきさん】
1954年、京都生まれ。10歳のころに失明。大谷大学哲学科卒。92年から粘土による造形を始め、95年から製図用の粘着式ラインテープを使って、触れる絵画の制作を開始。98年の「'98アートパラリンピック長野」で立体部門で大賞、平面部門で銀賞を受賞。
 各地で個展開催。仙台ではせんだいメディアテークで、2002年4月19日−5月6日に行われた企画展「retake」に出品。
会田−初めにアートとの出会い、アートを目指すようになったきっかけを。
光島 「1992年に、千葉の盲学校の先生をしていた西村陽平さんのワークショップが、東京で開かれたんです。粘土で立体をつくるワークショップで、『視覚を超える造形ワークショップ』というテーマでした。目が見える人はアイマスクをして、視覚を閉ざして、触覚で物づくりをするという内容でした。それで、どーんと20キロぐらいの粘土を渡されて、葉っぱやピーマンをモチーフにしてつくったのですね。
 私は82年から鍼治療院を開いて仕事をしていましたが、仕事だけでは物足りなさを感じていて、屋外彫刻などに触れるうちに、自分でも何か表現したいと思っていました。さかのぼれば、中学、高校の美術の時間に、粘土でつくるのが好きだったということもありますが。
 私は10歳まで、少し視力が残っていました。相手の輪郭がぼんやりと見えたり、色紙を近づければ原色が識別できる程度で、色の記憶は少しありますが、絵画に接したことはなかった。幼稚園の頃、友達が絵画教室に通っていたので、自分も「絵が描いてみたい」と行ってみたんですね。だけど、そんな視力だから、絵が紙からはみ出したりして、「お前、下手や」と言われて、2、3回でやめてしまいました。悔しい思いを覚えていて、絵が描きたいのに描けなかったという思いを、引きずっていたのかも知れません」
粟野−平面や半立体と立体の作品を並行して制作しているのですか?
光島 「92年のワークショップ後、95年から絵、平面を描き始めました。イギリスに住んでいたイタリア人で、フラビーオ・ティトロという全盲の彫刻家に出会ったのがきっかけです。石の彫刻をやっていた人で、昨年、転落事故で亡くなったのですが、彼は20歳のとき、車の事故で失明した人です。石川県七尾の公園で、現場で彫刻をつくる野外シンポジウムがありました。ティトロが来るというので、『全然見えない人が、自分でドリル持って、本当に彫刻をつくれるのか?だれかに指示して、実際にはやっていないんじゃないか?』と、『確かめに行こう』というわけで会いに行ったんです。そしたら、実際にドリル使ってやっていました。その時、石を切り出すときのドローイングのスケッチブックを触らせてもらいました。1、2ミリの細い製図用テープをスケッチブックに張って下絵を描くものでした。彼は僕より見えている時期が長かったので、遠近法を使ったりしていました。遠近法は僕には難しいですが、とにかく形が面白い、感動しまして、『自分でもできるのでは』と自分もテープを買って始めて見たのです。98年のアートパラリンピックの頃は、立体と平面部門を並行してつくりましたが、それ以降は平面が中心になっています。絵の方が自由度が高いですね」
会田−『平面の方が自由度が高い』というのは、意外な気がしました。絵は見えないから自分で出来が確認できないけど、立体なら触って、ある程度のイメージを持つことができると思ったのですが。
光島 「粘土なら、『こういう風に伸びてほしい』と思っても、土の状況で難しかったり、かまに入れて焼くといった物理的な制約や、人に手伝ってもらう部分もあります。絵は自分の力で描ける、描きたいと思った時に描けますから。自分でやりたいという僕にとっては、粘土は不便さがあります。それに、イサム・ノグチなどの作品を触ってみると、『絶対、勝てないな』と思って落ち込んで、劣等感を抱いたり。大それたことですが(笑)。絵の場合は、モナリザも見たことがないから、何も分からないがゆえに、何を描いても恥ずかしくない(笑)。また、今の自分の平面の描き方は、一応触ることができます。一方、目で見た感じ、どんな雰囲気なのか分からないのは、平面も立体も同じです。
 子どものころは、例えば飛行機を書いたら、飛行機と分かるというように、意図した物が意図したように伝わると、嬉しかった。でも、アートの世界を知るようになってから、それでは面白くないと思うようになりました。
作品「子どものころ、そして今」

製図用の粘着式ラインテープを使った作品
「子どものころ、そして今」
こちらの意図を伝えるだけであれば、言葉をいかに正確にしゃべるかということと同じです。アートは、自分の手から離れて、色々な物に見えていくことが面白い。だから、感想を聞くのは楽しみです。飛行機が飛行機のままなら、発展性がないですけど、違った反応があると、逆に広がりが出てくる」
会田−僕の場合は、言葉の商売なので、違ったように受け取られたらまずいですね(笑)
光島 「文章を書くのは嫌いでなく、書いてもいますが、文字はそのものズバリで、相手にぐさっと突き刺さり、しばってしまう。アートは相手を自由にするものです。もちろん、どう見えるか、反応はすごく気になります。だから、絵を描き放しではなく、やり取り、コミュニケーションしていくのが楽しいです。」
会田−作品を自分で確認できないことに不安はないですか?
光島 「不安は強いですよ。少し視力があった頃、ヒラガナを覚えて、自分で文字を書いても確認できない。盲学校でかなタイプもやりましたが、やっぱり打ち出した文字は自分で確認できない。間違っても直せない。パソコンは最近、音声で確認できるようになって、文字を使いこなせるようになって、すごく喜びを感じます。絵も同じで、昔は自分で確認できないから、そのうち描かなくなってしまいました。今、絵を描いている方法は、触れる描き方なので、形が分かります。自分でも確信を持って、何かを始められるようになったのだと思います。何かの形で確認することの大事さは、改めて感じます」
作品「府中の夜」
作品「府中の夜」
粟野−A4かA3サイズの絵を、つながるように張り合わせて、所々でスキャントークで音声で読み上げる「街シリーズ」というインスタレーションを拝見したことがあります。光島さんが京都から東京まで移動する際に、所々の心象を作品にしたものでしたが、臨場感があって面白かったです。場面展開が絵巻物のスタイルだなと思いました。
光島 「最初は大きい絵が苦手でしたが、作品を見てくれた人が『もっと大きい絵はないんですか』というので、僕も意地っぱりですから(笑)、『やろうと思えばやれますよ』と半ば約束してしまって制作しました。最近はかなり大きな絵が出せるようになりました。風景画は描きたいと思っていました。僕にとっての風景というつもりですが、やってみたら、結果的に時間を表現する作品になって。僕は『触覚時間』と勝手に名づけていますが、面白い展開になりました」
粟野−時間軸ですね。連続して場面展開していく絵巻き物、たとえば鳥獣戯画…ウサギやカエルが遊んだりケンカしている絵の物語ですが、それと似た、ロードムービーを見るような印象を持っています。
 私は世界の映し方に興味がありまして、光島さんは小さい頃、視力がぼんやりしていて、物の形の世界というより、光の明るさの世界、色と光が交わった世界にいたのかなと思ったりするのですが、形への渇望というのはありますか?
光島 「それはあるかも知れません。視力がないですから、輪郭をはっきりさせたいと、触る行為があって、触ることで映像的にとらえていくことになる。例えば机のイメージなら、触ってみて、昔見た机の感じがわいてきたり。何か触る、あるいは音を聴くことで、イメージがとらえられます」
粟野−『ざらざらした感じ』とか、『つるつるした石の表面みたい』とか、光島さんの中で知覚のボキャブラリー、認識の引き出しとして、触覚があるのかなと思いましたが。
光島 「それは、仮説としてあるかも知れませんね(笑)。これから検証していくことになるかもしれません」

粟野−そうした感じ方、感覚にはとても関心があります。小さいときから、「赤」とか「ピンク」とか印刷された画材を使って、見えている色とその名前を結びつけて覚えて行きますよね。それがだんだん増えて行って、美大を受験するときは128色とかになっている(笑い)。でも、例えば「ひわだ色」など、昔は暮らしの中で体験していた色ですが、今では私たちが体験で分かる色ではなくなっています。単に色と名前の記号の世界です。光島さんには良い意味で、そうした色と名前の結びつきが影を落としていない。素直に飛び込んで行けるという意味で、うらやましくも思います。
光島 「もしかして、粟野さんの期待を裏切るかも知れませんが(笑)、自分の色を増やそうと思って、カラートークという機械を使い始めています。コンピューターを何か物に当てたら、何色と読み上げてくれる機械で、約300色識別できる。でも、グレーゾーンや、見え方が食い違ったりする部分がありますよね。上手く利用したいとは思っていますが。僕が想像している色と、機械が伝える色と、普通に見えている人と3者の間のギャップはすごいですね」
制作のため、仙台の街を歩くみつしまさんの写真dえす

 せんだいメディアテークでの展覧会の出品作品制作のため、仙台の街を歩く光島さん
(2002年3月23日)
粟野−色を数値化したほうが都合がよいこともありますが、規定してしまいますよね。自分が思っている色を言葉で伝えるというのは難しいです。言葉は、比較し、錯誤しながら一つの様態を探り当てていくという面で、コミュニケーションの道具として限界もあります。アーティストはコミュニケーションの齟齬(そご)を突き崩す立場にもいるので、光島さんの鋭い感覚に期待しています。
 目が見える人は、視覚に依存し過ぎて他の感覚がなまってる、と感じます。今回の街歩きでは時々目をつぶって歩いてみましたが、手応えがないことがもの凄く不安で、ぶつかる物があった方が安心できました。

光島 「街歩きをしていると、いろんな変化を楽しみたくなりますね。点字ブロックだけでなく、舗装の具合が変わることで、足裏への刺激も変化する。そのような変化もひとつのランドマークになりうるし、障害物があるのもお、また面白いということにもなりますね。しっかり整備されていると、それはそれで良いのですが、同じ感じで町がつくられていると、町としては面白くないですね。難しい面です。福祉とアートのぶつかり合いになるかも知れませんが」
会田−世界を見るとか、世界観と言うとき、どうしても僕らは「見る」というとらえ方をします。何か把握しようという意味の言葉ですが。光島さんの場合、世界のイメージをどう感じるのか、手がかりがどう見えるのか、また見るという言葉を使ってしまいましたが。よく、イメージが浮かぶとか言いますけど、それはどんな感じでしょう?
光島 「好きな形というのはありますね。好きな形を思い浮かべながら、制作するということは一つです。対象に繰り返し触っていると、単純な形でも面白いなと思えてきたりするんですよ。缶コーヒーの缶みたいに単純なものでも、指先を通して伝わってくる。ゆっくり時間をかけて触ることの大事さは感じています。見るというのは、早いですよね。僕の見方は、ゆっくりと触るのが特徴で、時間がかかる。彫刻も周りをぐるぐる回る。触っているうちに、その物の持っている勢いなどが伝わってくる、面白くなってくる。時間をかけないとダメですね。スピード、スピードの時代には逆行していますが、物のとらえ方、見るということにも、同じことは言えると思うのです」
粟野−堪能して味わうという感じですね(笑)。時間をかけて、感覚がある細かさのレベルに行くのを待っているという感じがします。マリー・シェーファーというカナダの作曲家が提唱したサウンドスケープというワークショップを、私の大学の授業に取り入れています。現代は常に何かを、それも重複してやっていて、何もしない時間というのは現実的に少ない。そこで、何もない所に行って、何もしないで、ひたすら耳を開放するのです。最初は気持ちがざわざわしていて目立つ音しか聞えませんが、次第に遠くのかすかな音まで聞えてくる。光島さんが何回も何回も触っているうちに、色々なことが分かって来るというのは、必要な時間なのだと思います。だから、光島さんの作品には、時間の勝負をかけられたという感じで、くどく見ようと(笑)。そんな時間を提供するという意味も持っているように思います。
光島 「そういうふうに見てもらうのを望んでいます。」
会田−光島さんにとって、創作の意味とは何でしょう?
光島 「以前は、鍼の仕事が80%で、アートが残りでした。今は気持ちの上ではアートが50%、鍼が50%ですね。実際、仕事が占める時間は長いですが。一年ほど前、脳梗塞で倒れて入院して、鍼の仕事を減らしました。再発すれば、いつ自分がどうなるか分からないから、今やれることはやっておきたいと思いました。自分はやはり、アートをやりたいので、自分の気持ちに正直にやっていきたいですね。
 若い頃は、文章で表現したいと思っていました。自分が目が見えないから、『理解してくれ』という思いも強かったと思います。すると、相手の心にすっと入っていかなかったり、反発として返ってきたり。僕自身にとって、アートは表現の仕方として一番ぴったりしています。」
作品「せんだいメディアテークのある街」
「せんだいメディアテークのある街」
仙台での街歩きを基に制作。せんだいメディアテークでの「retake」展に出品

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【関連リンク】
光島貴之さんのサイト「MITSUSHIMA GALLERY」
 
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ミュージアム・アクセス・ビュー
 
京都で、視覚障害者とともに美術鑑賞をしているグループ。言葉による感性の交流を通して、共に楽しみ、共に学び、互いの感動に触れ合う、そんな鑑賞ツアーを目指しています。

エーブル・アート・ジャパン
 
障害者の表現活動をサポートするとともに、障害者の芸術を還元し、社会に新しい芸術観、価値観を創造する市民芸術運動を行うNPO。旧日本障害者芸術文化協会

MAR(Museum Approach & Releasing)
人と美術、美術館を身近に解放しようと、美術館とは一番縁遠いとされている視覚障害者と一緒に「みる」鑑賞ツアー、美術館のバリアフリー調査などを展開。