| NIYONIYO 触る 触れる 時をかける インタビューを終えて |
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| 光島さんの存在を知ったのは、2000年4月に東京のパルテノン多摩という施設で開催された「見えない展覧会」のときでした。2回目の開催となったこの展覧会は、来場者はアイマスクをして、案内人に作品の場所まで導いてもらい、触って鑑賞する、というルールで運営されました。 美術でも音楽でも文学でも、表現のもとに私たちは自由であり、それは何も保証されない、ということでもあります。自由というのは、何とも拠り所のない不安定なもの、自分という根拠の確かさを試される装置なのかもしれません。鑑賞というのは、作品がかもす空気を共有する用意があるかを、まず問われているのであって、その点に於いて制作者の事情や表現形態の背景を知ることが入り口ではない、と考えています。障害者という言葉が、社会的に定義された完璧さに対する欠如を意味するのであれば、多かれ少なかれ、身体機能的なこと、精神的なこと、において誰もが何らかの欠落感を抱いて生きているはずです。おそらく表現のモチベーションというのは、その欠落感を埋めようとする行為と表裏一体となっているのでしょう。 そんなことを考えるまでもなく、いろいろなものが貼り付けられた厚紙の不規則な配置を触って辿りながら、作品と私の間で交わされる対話の間に、指先と脳、それからさまざまな共感覚の対話があり、このアーティストが盲か晴眼かなど、考えもせずに鑑賞していたのでした。 展覧会中には、作品の設置場所が屋内と屋外に離れていたこともあって、会話をする機会は持てませんでしたが、閉会後、展覧会運営の諸々に関わった人たちでメーリング・リストを立ち上げ、そこで光島さんとわたしはインターネット上を行き交う文字だけで会話をするようになったのでした。メール交換の中で光島さんは、「声で人を想像する」と書いていました。その後、光島さんが出演したNHK『人間ゆうゆう』という番組や、府中市美術館「わたしたちにできること展」の紹介ビデオなどで、私は一方的に光島さんの顔や声を知ったのでした。 今回のインタビューは、せんだいメディアテークで開催された「retake」展(4月19日から5月6日まで)の準備のため、仙台を訪れた光島さんと街歩き〜光島さんの作品はこういう体験から作られます〜をした後で行われました。そんなわけで、せんだいメディアテークの1階で待ち合わせをして、「光島さん?」「あ、粟野さんですか?」というのが初めてのミーティングだったわけです。 仙台・青葉区界隈をよく知る人たちに先導されて、私も時々目を閉じてみて街歩きをしましたが、目にうつるものはいろいろあっても、目を閉じて触れたり聴いたりしながら、心に形成されていく街の姿は、思いのほか単調だという気がしました。しかし、公園で鳩が群がってきた時は、その体温や重さや爪、嘴の鋭さが予測できないままにやってくるので、とても驚き、かつ、自分から物に接触して形をたぐるときと異なる、心構えの起伏を感じました。広瀬川が見渡せる丘の淵に立った時には、ビルの壁に閉じられたような繁華街よりも、直接の空気に触れられたような気がしました。 インタビューでは、メール交換するより、もっとダイレクトで強いレスポンスを得られたと思います。声と耳による対話もまた、直接触れる世界、ということでしょうか。街歩き、インタビュー、その後食事を共に楽しみながら、インターコミュニケーションという言葉が、ぐるぐると頭の中を駆け巡っていた仙台の一日でした。 |
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【粟野ユミト】 |
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思春期に入る小学生の高学年ごろ、友達と他愛ない話しをした。「手を握ると子どもができる」「キスすると子どもができる」。僕は個人的に、それほど耳年増でなく、性に関する情報は多くなかったが、男の子が女の子を意識するようになるにつれ、手を握るといったことさえ、肉体的な接触が、ある種タブーに近い感じを持ってとらえられ、これまでと違った意味を持ってきたのを覚えている。 触るということは、とても官能的な感覚のように思う。 光島さんが「時間をかけて、繰り返し触っていると、単純な形でも面白く思えてくる」といったことを話してくれた。「なるほど」と思った。理屈でなく、体を通して、その対象が理解されてくるということなのかと思った。光島さんは「時間をかけて触ることの大事さを思う」とも言う。時間をかけるうちに、手応えが深まり、輪郭がくっきりしていくのだろうか。 思えば、親への反抗期を経て、親をだんだん理解するようになり、友達も長く付き合ううちに、いろいろな側面が見え、その上で親交を深めたり…。理解するということには、時間の営みを伴うと思う。もちろん、「繰り返し触る」行為をしてこそ、理解への手がかりが増えて行く。その人の心に「触れる」などと言うように、「触る」と「触れる」と、言葉が近いことに改めて気付かされた。または、ぱっと短時間で「この人はこんな人だ」と分かったつもりになるのでなく、繰り返し時間をかけるうちに、その人の多彩な側面を感じられるようになる。そんな、温かい心構えにも通じるような気がする。 光島さんの作品を、せんだいメディアテークで拝見することができた。何とも言えない、温かみ、ほのぼのした感じが全体を通して伝わってくる。それは「府中の夜」のように、色彩的には暗い色を使ったものでも同様だった。どこかに、光島さんが繰り返し触ってつかんだ感覚、対象を愛しむ光島さんの姿が投影されているのだと思う。そこに、光島さんがいる、という感じがした。 |
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| 【会田正宣】 学生時代、環境問題を研究するサークル「なちゅれ」を主宰。楽器や空手など四方八方手を出すが、身につかないことばかり。気の多いB型。今は中国語に取り組む。アイルランドのロックグループ「U2」ファン。記者。横浜出身。 |
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