NIYONIYO
国境のない歌を鞄につめて
ヤドランカさん
(聞き手 佐藤きよみ 会田正宣)
ヤドランカさんの写真です 会田−まず、音楽との出会いについて教えてください。

「6歳の時です。伯父がジャズバンドで活動していたので、その影響を受けたのです。当時伯父が使っていたブルースハープがありました。伯父は私に「Don't touch」と言いましたが、私はどうしても触れてみたかった。子どもって、「触るな」と言われると触りたくなるでしょう?ブルースハープが最初の楽器、そして色々な楽器に触るようになりました。伯父さんからは「ちゃんと(音楽を)勉強してね」と言われました。その伯父がまた画家でもあり、それで絵も描くようになりなした。家族全員が音楽や絵画を好む環境だったので、特別なことではなかったのです。
 ハイスクールの頃はロックが好きで、エルビス・プレスリーやベンチャーズにはまりました。大学の進路として音楽を選びたかったけど、音楽学校はクラシック専門なので、美術の方を選びました。美術学校では版画、エッチングを学んでいました。学校を出る前に、ドイツで活動していた伯父さんのバンドに参加して、ベーシストになりました。自分は歌手という気持ちはなかったけど、伯父さんの勧めでヴォーカルになって。」

佐藤−音楽を作るとき、大事にしていることは何ですか?

「ジャズバンドの一員として、ツアーでヨーロッパを中心にいろんな国を訪れました。ポップ、ロックのカバーや、その国の歌のカバーをたくさんやりました。毎日演奏しながら、違う国の雰囲気、多様な音楽を知り、それぞれの国の人のテイストにあうよう工夫したりしながら、表現が広がって行きました。それが自分にとって良かったのだと思います。21歳のとき、サラエボの戻って、現代的な演劇を行っている劇場の演出の仕事をするようになりました。劇に合わせた音楽をコンポライズしたのが、作曲の始まりです。21歳の時でした。自分にとってすごく変化に富んだ時間でしたね。」
【ヤドランカさん】
旧ユーゴスラビアのサラエボ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ首都)出身。18歳でジャズベーシストとしてデビュー。1984年、サラエボ冬季オリンピック番組のテーマソングを手がけ、旧ユーゴの国民的歌手となる。日本に関心を持ち、88年に来日。旧ユーゴの内戦ぼっ発で祖国に帰るのが難しくなり、日本を拠点に活動するようになった。アルバムは「SARAJEVO BALADA」「BABY UNIVERSE」「MOON WILL GUIDE YOU」。NHK教育「あつまれジャンケンポン」主題歌、TBS「神々の詩」挿入歌など。2001年、坂本龍一が呼びかけた「地雷ZERO」キャンペーンにも参加。画家としては、子どもたちと一緒に描いた絵の展覧会を東京のP3で開いたほか、アムネスティインターナショナルのステイショナリーのイラストも手がけた。
会田−僕にとっては、アルバム「SARAJEVO BALADA(サラエボ・バラード)」を聞いたのが、ヤドランカさんを知るきっかけでしたが、「サラエボよ、明日…」がとても印象的でした。メッセージ性が強かった。この曲を作ったときのことを。

「誰のためでもなく、自分自身のために作りました。(旧ユーゴスラヴィアの内戦という)すごい変化が自分自身に振りかかってきて、何とか良くしたい、直したいと、強く思いました。13、14歳ごろの子どものころって、例えばいじめとか、世界を感じ始めて、世界を直したいという気持ちが強くなるでしょう。そのときと同じような強い気持ちでした。自分の国がなくなって、家族や一緒に遊んだ仲間、友人たちが被害に遭った状況の中で、真剣に、正しく、色々良くしたいという強い気持ちがあった。人間は動物ではない。一人の人間として、一緒に生きた人たちのためにメッセージを伝えたいと。『どんなことがあってもヒューマニティを忘れないで』と。
 サラエボはたくさんの民族、異文化が一緒になって、まちをつくってきました。憎しみより、長い、ヒューマニティの歴史を持っています。日本に来て音楽活動をしている最中にサラエボのニュースが流れ、旧ユーゴへのネガティブなイメージを持たれた。マスコミは私に、政治的な意味合いの強いメッセージ、コメントを求めました。でも、私は政治家でなく、音楽をやっている人間だから、なぜ戦争が起きたのか全然分からない。
 サラエボは違う文化が混ざり合って、新しい独特の文化をつくってきた。戦争中でも、ちょっと落ちついたときに、世界中の芸術家がサラエボに来て、展覧会を開いたり、コンサートを開いたりしていた。私は、サラエボは必ず前進できると強く確信していました。」
会田−「サラエボよ、明日…」のエンディングは、ベートーベンの第九がモチーフですよね?

 「そうです。セレブレートしようと」

会田−旧ユーゴの内戦について、どのように感じていましたか?

「平和を願う気持ちは誰でも同じだと思います。自分が特別の場所に生まれたから、と言う訳ではないでしょう。旧ユーゴは違う文化、新しいものが混ざりあって、文化の面でいろいろ活躍している。そんな国で生まれ育って、自分も影響を受けました。自分は何でも食べられる、すしも全然平気でしたよ。何でもやれると思う。一つの枠にこだわらない、それが音楽にも反映されていると思います。苦しい体験は勿論ありますよ。本を書いたとしても1冊ではまとめ切れないでしょう。2年前、ばらばらになっていた親戚がオーストリアに集まったことがあります。アメリカ、スペインなど、本当にいろんな国から集まって来た。それだけ各国に散らばりました。他の人々も同じ。遠く逃げた人は大変だったと思います。」
ペルシャからマケドニアに伝わった楽器サズを弾くヤドランカさんの写真です
ペルシャからマケドニアに伝わった
「サズ」を弾くヤドランカさん
会田−先ほど、子どもと一緒に絵を描くワークショップを拝見しましたが、絵は一人で描くものだと思っていたので、一緒に描くというのは新鮮でした。

「子供と一緒にやると色が明るくなるんです。だんだん世界が作られていく感じ。。今回のテーマはオリンピックで、楽しいお祭りのイメージを一緒に作ろうと思って。私は音楽でも、歌いながらラインが生まれてきます。音楽に近いです。音楽もイメージでしょう?こういう音楽を聴いたらこのイメージとか…。絵を描いていても、白いカンバスに色を塗ったりしながら、だんだん物が見えてきて、世界が現れてくるというか…。いろいろな絵を描きます。現実でないようなものや、現実と抽象が交ざっているような絵や…。何でも、自分の中で交ざっていて。
 子どもと一緒に描くのは、大人のつくった世界に入ってきてほしい、『同じカンバスに入ろうよ』と。公園で一緒に散歩するのと同じような気持ちです。出会いがカンバスに残るんです。」
ヤドランカさんが2002年2月23日、名取市文化会館で行った、子どもと一緒に絵を描くワークショップの写真です
2月23日 名取市文化会館で
※今回、準公開インタビューという形をとりました。ワークショップに参加した親子の中で、インタビューにも参加してくれた方々がいらっしゃいます。

(女の子より)−どんな色が好きですか?

「青とかピンクとかね。楽しかったですか?」

(女の子)はい、楽しかったです。

(インタビューに参加した母より)−他の人、他の先生の描いたものに手を加えるのは抵抗があるし、失礼なことかと思うのですが?

「子どものころ、伯父の絵に筆を入れて、怒られたことがあります。でも、私は「いいじゃないの」って感じでした。それも新しい出会いだからって。そのコミュニケーションが大事なんだと思うし。」

(母)親としても初めての経験で、思い出に残ると思います。

「学生の時、先生の家に遊びに行ったら、一番良い絵は自分の家にしまっているのを見て、その時これは誰かの家にあった方がいいんじゃないの、楽しみを分けてあげたらいいんじゃないのと思いました。」

会田−子どもと一緒に絵を描くという活動は、いつ始めたのですか?

「2枚目のアルバム『ベイビーユニバース』を作った時です。隣に住んでいる子供たちを集めてやってみて、東京のギャラリーP3で展覧会も開くことができました。よりポジティブな世界を子供たちと作るにはどうしたらいいか考えていて、一緒に絵に参加することが一番のコミュニケーションだと思いました。子供たちといろいろ話をしながら作品を仕上げていきました。最高に面白かった。『ベイビーユニバース』に入っているイラストレーションは、すべてそのときの絵です。」

会田−ワークショップで印象的だったのは、すごく丁寧に子どもとコミュニケートしている点でした。「ここの色、変えていい?」「ダメだったら、変えません。このままでオーケーよ」とか、一つ一つ確認していた。子どもと一緒に活動しながら、子どもに伝えたいことは?

「大人と子供と一緒につくるということが一番大事。遊びながら筆の動かし方や色のこと教えるけど、自分自身が自由に選択をすることが大事ですね。私自身は大人で、外国人で違う文化の人間だけど、そういう人と時間を共有する体験の一つになればとも思います。子どもたちも違和感を感じていなかったようで、私も安心した。心が通い合えるでしょう。」
● 絵と歌のワークショップ  (レポート 佐藤きよみ)
 午後2時から、ヤドランカさんと名取市在住の親子数十組による「絵と歌のワークショップ」が行われた。テーマは「ソルトレイクオリンピック」である。「フィギュアの本田選手の活躍には感動した」というヤドランカさんの話があり、オリンピックをテーマに、ヤドランカさんがあらかじめ描いた下絵が提示された。その上に子供たちが思い思いに想像力を働かせて描き足していくという。
 会場の床にビニールシートが敷かれ、その上にヤドランカさんの大きなカンバスが置かれる。子供たちは絵の具を持ってその周りにおずおずと集まるが、初めはなかなか手が出ない。隣に置かれた練習用の紙の方に行ってしまう子も多い。「自由に何でも描いていいよ」と言うが、「自由」というのは子供たちにとって以外に難しいようだ。まして「人の描いたものの上に色や別のものを描くなんて」というためらいもあるようだ。現代っ子は以外に礼儀正しいのだなと、妙な関心もする。
 ヤドランカさんはそんな子供たちに「大丈夫、何でも。ミスしても大丈夫」と優しく声をかけたり、「花火を描きたい」という女の子に、花火の楽しいイメージなどを話したりして、だんだんと子供たちの緊張を解いていく。ワークショップ中盤からは目を輝かせて、次第に力強いタッチで思い思いに絵を描く子供たちの姿があった。
 目で見たものだけでなく、心で感じたことを描くことが大事なのだと子供たちは途中から気が付いたようだ。そう感じられた時、イメージがぐーんと広がり、カンバスが豊かになった。ロケット、花、うさぎ、花火、雪だるま、そしてジャンプやスキーをする人が描かれ、動きがダイナミックなものになる。同じカンバスの上に別々なものを描くことは互いの個性の否定ではなく、共存であり、他者とのイメージの共有であることが分かる。
 ヤドランカさんの「あつまれジャンケンポン」が流れる中、2時間後には冬季オリンピックの楽しいイメージに溢れる作品が完成した。子供たちとヤドランカさんの心のキャッチボールが伝わってくる素晴らしいワークショップであった。この日の作品は参加した子供たちと共に翌日のヤドランカさんのコンサートで舞台にあがることになった。
 なお、この日のワークショップでは地元のジュニアリーダー「あにまるず」がボランティアとして活躍していたのも印象的だった。その内の一人は「いろんな活動に参加できるのは楽しいです」と話していた。
佐藤−子どもに伝えるというより、対話するという感じなのですね。私は「ベイビーユニバース」を拝聴しましたが、私が感じたのは、民族音楽はじめ、さまざまな音楽が融合され、新しくアレンジされ、国や単一の文化を超えた音楽、世界を演出しているということでした。心が自由でいられるから、できる表現なのではとも思いました。ヤドランカさんは、ご自身をどこの国の人間として意識され、またその意識がどのように歌に反映するのでしょうか?

「私はいろいろな国で演奏活動をしてきて、その国で出会った人の顔、風景、食べ物、匂いなどが、心の中に残っているんです。心の中にパスポートがあって、ビザのハンコがたくさん押してあるような。それは自分のお守りのようなもの、自分自身が国籍みたい。いろんな人がやっているオリジナルな音楽と出会い、その人と一緒に作っていたら、突然、今までにない新しい世界が広がっていくのです。ステージで同じ曲を弾いていても、毎回違う。いつでも新しい世界として感じていたい。気持ちが旅行するときが嬉しいです。歌は人間と一緒。ドアを開けたら外に出たいでしょう?」

佐藤−ヤドランカさんと日本との出会いについて教えてください。

「母から俳句の本を見せてもらったのが最初です。本には浮世絵もあり、興味を持ちました。それと母は三船敏郎のファンで、恋に落ちていました。本当に結婚したいと思うくらい(笑)。映画「羅生門」は何度も観ましたよ。日本の伝統的な世界は印象深かったです。自分は版画の勉強をしていたので、実際に浮世絵を自分の目で見たいと思いました。でも、ずっとヨーロッパでの公演が忙しくて香港あたりまでしか行けず、ようやく日本に来ることができました。」

佐藤−実際に日本を見てどうでしたか?

「伝統的なものとのバランスを保っていると思いました。まだまだ伝統的なものを大事にしていて、それは良いと思いました。でも、東京の忙しさにはちょっとびっくりした。自分のバイオリズムに合わないと思った。みんなそれぞれが忙しそうで、家族一緒に生活できない。それは可哀想だと思います。もっともっと親と子供が一緒に何かをする時間が必要だと思います。」
佐藤−「ベイビーユニバース」に収録された「俳句」という曲について伺います。日本の伝統的な短詩に興味を持たれたのはなぜですか?

「あの俳句は全部自分で選びました。俳句はイメージです。それぞれがドラマを作るような感じ。映像的にパーっと浮かんでくる。本当に絵を描くような感じですね。」
佐藤−すごく視覚的ですよね、何を言わずともすべてが入ってくるような。

 「そうそう、だからね、哲学も心理学もあり、絵画だと思います。」

会田−米国同時多発テロ事件、アフガニスタン空爆についてはどんな感想を?

「経済格差が大きくて、一方は基本的な食糧もないぐらい、世界中がアンバランスだと思います。なのに、それぞれの国同士も、国民の間でもコミュニケーションがうまく行っていない。
歌を歌うヤドランカさんの写真です
バランスを保って行くため、どうコミュニケーションしたら良いかが分かっていない。平和を教育的に教えるのではなく、これからどうすればいいのか、お互いに話したり、考えていく、そういうことに対する教育がまだまだだと思う。これは先進国でも同じです。お金のあるなしの問題ではないですよね。テロも空爆も、互いに人間的でない。」

会田−芸術家が平和のために出来ることは何でしょう?

「音楽は、人類が生まれるずっと以前から自然界に存在していました。風の音、鳥の鳴き声、そういう形で人間の周りにあったもの。人間が生まれる前に戦争はなかった。平和って特別に考えることでしょうか?音楽は心を自由にする。言葉は通じなくても、音楽を聴けばきれいな気持ちになるでしょう?。音楽イコール平和。私にとっても、音楽は特別の表現手段ですね。お互い、無理や強制させられずに同じテーブルにつく。それが一番大事じゃないかしら。」

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